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 僕はこの街が好きだ、正しくは「好きになった」というべきか。24年前に「終の棲家」としてここニ戻ってきた時には、実はあまり好きな街ではなかった。時代の流れだから仕方ないのだろうが、個性的で魅力的な街とは程遠い日本全国どこにでもあるような街の感じがしたのだ。
 しかし、この街で、もがきながら四半世紀も暮らしていると、素直に「いい街」を実感できるようになった。

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19時10分の夜景

  
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電信柱にいた「トトロ」


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つい、ふらりと足が向いてしまう飲食街・通称「マーケット」


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タクシーを拾おうとしている「老夫婦」待ちくたびれて、固まってしまったのか。


この街を、大切にしたい、と心から思う。







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さりげなく宴席に飾られた筍(I氏の庭・産) 

 友人のIさん宅には立派な竹林がある。春になると筍が「ノコノコと出て来やがって」なんて洒落も言えないほど「ボコボコボコ」とでてくるのだそうだ。
というわけで、胃袋に片付ける作業、に参加させてもらった。
ご主人と奥さまのセンスを感じさせる手の込んだ手料理と、主役の「筍汁」が宴席に並べられ、普段はお目にかかることのない芋焼酎の面々もずらりと並ぶ。
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とか

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でしょ。

ここまで、完璧にセットされてしまうと、当然酒の進み具合もフェラーリ並になるわけで、日常では想像できない「芳醇な空間と時間」を味わうことができる。

でも、時々若い頃の話になると
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昔よく飲んだ「ホッピー割り」

こんなことになってしまうのも実に嬉しい。「中々」をホッピ-で割ってしまうところが、中々なのか、スゴイのか、やっぱり馬鹿なのかよくわからないが、ここに集うおじさんたちは、そこまで「遊び」切ってしまうのだ。

 それにしてもIさん、いつもお招きいただきながら旨い肴と焼酎をたらふくご馳走になると片付けもせずサッと帰ってしまう僕らを、笑顔で見送る寛大なお心にただただ感謝、であります。


 本日ようやく、50歳。ここまで「ガキ」のまんまにやりたい放題やって来たんだから、残りの人生もわき目も振らず、遊び切ってやると心に決めた誕生記念日である。

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故三条正美さんの「新庄・昔の街並み」

 懐古的なことばかり書くようだが、最近妙に、昔の街が持つエネルギーや魅力が一体何なのか気になっている。だからずっといろいろと古い写真を見つけてきては、街なかに貼り付けて楽しんできた。
 今の商店街は、残念ながら昔のようなエネルギーも魅力も殆んど感じられなくなってしまっている。どうしてこんな風になってしまったんだろう…。
 その要因は数々あるだろうが、1964年の東京オリンピックを境に、日本全体が急速な近代化の波に飲み込まれ、農業、工業、商業など全てにおいて驚異的なスピードで成長してきた事も大きな要因だろう。
 その結果、経済的には豊になりはしたが、社会的には多くの大切なものを失ってきた。それとは逆に、家庭や街には必要をはるかに越える大量の「モノ」「情報」が溢れてしまった。
 以前友人が、みんな「身の丈に合った」生き方をすべきだ、テレビだって一家に一台で充分だし、クルマだってそうだ、としみじみ言っていたのを思い出す。
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アーケード・この街にはちょっと大きすぎたかな。

 新庄は、雪や雨が多い。だからアーケードは昔も現在も、道行く人にとっては大変ありがたい設備である。ただ景気のよかった頃は街なかも人通りが多く、これ位のアーケードや街並みが必要だったのかもしれない。 
しかし、今はもう幅が半分ほどでもいいし、北本町のものはだいぶ老朽化していて、もってあと何年という状態だ。
 もし造り直す事があれば是非、下の写真を参考にしていただきたい。背伸びせず身の丈に合った造りであれば経済的負担も少なくてすむし、道路に駐車スペースも出来て便利じゃないか、などと勝手な事を考えている。

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GW中に行った弘前公園近く、昔の「アーケード」?

もしかすると身の丈に合った事を、こつこつと積み上げていく事が、街のエネルギーにもなるし、魅力にも繋がるのではないだろうか。
 これからは、ただ大都市の真似事をするのではなく、品格あるわが町の、気候、風土、「財政状況」などを考慮して、「身の丈」に合った「モノ」「コト」をつくり上げていけばいいんじゃないかな、次の世代のためにも、きっと。

というわけで、地元有力者の皆様、よろしくお願いします。


2006.05.23 昔の写真
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昔の街には「ロマン」が溢れていた

 今は「無くなってしまった」とまでは言わないが、中々「ロマン」を感じたり、持ったりするのが、困難な時代になったように思う。
 昔の人々の写真を眺めていると、つくづくそう思う。NEC_0223.jpg

この写真は、誰がいつ頃撮ったのかは不明だが、好きな写真の一つだ。
新庄・北本町商店街の初売りの様子を写したのだろう、当時の賑やかさ、ゆったりとした時間の流れ、を感じることができる。道行く人のファッションも落ち着いていて、それぞれの暮らしぶりや人生観まで推し量る事が出来そうな感じだ。
 この写真を見ていると、社会全体が時代の流れに遅れまいと、一心不乱に突き進んできたがゆえに、大切なものを無くしてしまった「証拠の一枚」に見えてくる。
 今を生きる子どもたちは、次の世代に何を残し、何を伝えようとするのだろう。昔我々が街なかで遭遇した数多くの驚きは、夢は、今この街に存在しているのだろうか。というより僕たち大人は、彼らの記憶に残るような魅力的な社会を構築できているのだろうか…。これを考えるといつも胸が痛む。

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昔の写真には、僕らが置き忘れてきたものを、もう一度手に入れる事が出来そうな力がある。
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カヌーを始めたのは10年程前になるが、きっかけとなったのが「最上川自作いかだ下りレース」だった。チームを組み、狩川~最上川河口までの40数キロを漕ぎ下るタイムレースに出場して以来、川下りの魅力にとりつかれてしまったのだ。
その魅力のひとつは、「流れ」である。一時でも同じ状態はなく水面の表情は変化しつづけている。
その変化を感じ取り、読み取りながら漕ぎ進んでいくのだが、時々どうにもならない、まるで小川を流れる落ち葉のような状況になったりもする。
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人間は小さい。

思いもよらない方向にスーッと流されてしまったり、突然水面がもっこりと持ち上がる「ボイルウォーター」現象で「沈」しそうになったりもする。
そういう「不測の状況」を楽しむことが、たまらないのだ。「だったらあぶないんじゃないの」と思うだろうが、そういう状況ばかりではない。
「トロ場」という波すら立たない緩やかな流れの場所もある。そこでは、それぞれがゆったりと川、風、音、そして時間の、「流れ」を満喫することができる。
 圧倒的な自然の中に身を置き、その美しさ雄大さに畏敬の念を抱きつつ謙虚に楽しむことで、五感をリフレッシュさせることができるのだ。
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パドルを握ると、もうみんな「少年」だ。

美空ひばりじゃないが、「川の流れ」は人生そのものである。大きな流れに翻弄されながらひたすら目的地目指して漕ぎつづける行為はまさに「カヌーは人生、人生はカヌー」である。
 目的地が近づくと、漕ぎきったという達成感と同時に、もう終点かという何ともいえない寂しさに襲われる。カヌーを降り上陸したときは、恋人との楽しかったデートを終え、「じゃあ、またね」と別れる時に似た感情になる。

だから、カヌーはやめられないのである。

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午前の商店街・誰も歩いていない…

 商店街に人通りがなくなってどれくらい経つのだろう。もしかすると僕にだけ見えないのかもしれないが、足音もしないのでやはり誰も歩いていないのだろう。
この街に小さな本屋を開いて20年近くになるが、この街の商店主の方々の中には、飛び切り面白い人がいる。
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「なんとかしないとなぁー」と何気なくアーケードを眺めていると、突然変なオヤジがこっちに突進してきた。ビックリして身を隠そうと思ったが「ただの精華飯店のオヤジ」だった。
このオヤジは、僕の「尊敬する新庄人」ベスト5に入る人物だ。高校の頃は恐くて近寄れなかった。いきがって街なかをあるいていると、カブで出前中の彼がいつも「ギッ」と睨んできた。
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彼がいつも睨んでくれたお陰で、横道にそれずに、なんとかここまでこれたといつも感謝している。それにしても何の因果なのか、その後「精華飯店」の向かいで「本屋」をすることになろうとは、人生とは魔可不思議なものである。

生活くるちいので、毎日は食べにいけないが、ときどきは行くようにしている。美味いから、いくのだが、何よりもオヤジの繰り広げるパフォーマンスを見ていると(稀に、くどい時もあるが…)体中にエネルギーが漲ってくる。もちろん何でも美味いし、ボリュームもタップリだ。

以前は「変なオヤジ」という認識だったが、最近は「あこがれ」の存在である。野球選手ならイチロー、サッカー選手なら中田というところか。それくらいスゴイオヤジなのだ。ウソだ、というなら是非「精華飯店」ののれんをくぐってみることをお薦めする。

こういう人がそばにいるということは、非常にありがたいことだと、心底感じている今日この頃である。

大切なものは、守りつづけ、
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そして、未来へ繋げていかなければならない。というわけで、この本。
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一面水だらけなのに飲料はペットボトルに入ったお茶。

 カヌーを始めて10年程になる。最初の頃は、飲料と言えば「缶ビール」だった。ひどい時は終点に着いたら、カヌーの中がビールの空き缶だらけということもあった。
でも今はビールはいらない。カッコつけて言えば「大自然の壮大さ、美しさに酔いしれて」しまうからである。
今はもう立派な、ノンアルコール・カヌーイストなのだ。
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「ここの新緑の季節は空気が違う」と押切D氏に言わせた景色

 特に、最上峡にそびえ立つ新緑の山並を、真下から眺めつつカヌ-を漕ぎ進める時は、ビールなど飲まず「息を呑む」のだ。
社会の真下で生きる本屋のオヤジの日常では味わえない至福の瞬間である。

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最上峡の壮大な景色を独り占めする井関さん

だから、カヌーはやめられないのだ。 つづく。

 次回は、僕がカヌーにはまるホントの理由を書こうかな。へへ。
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 今年初めてのカヌー、朝6時に井関さんと出発。昨晩は遠足前夜のようにウキウキしちゃて、なかなか寝付けず起きるのがつらかった。
 コンビニで食料を買い込んで一路終点のリバーポートへ向う。クルマ一台を終点に置いて、スタート地点の本合海へ。
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 7時10分、いよいよスタート。井関さんは今年初カヌーとは思えない程のスムーズなパドリングで矢向楯を後にしスウ~ッと先へ行ってしまった。コンディションはまずまずだったが、なにか〈myカヌー〉が不安定な感じがして最初は慎重にカヌーを進めた。いつもはそんなこと全然気にしないのに今日はどうしたんだろう…。
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最上川の水温は7度前後、田仕事の影響なのか、かなり濁っていた。しかし周りの圧倒的な景色には、ツーリングにはちょっと厳しい条件を忘れるほどの魅力があった。
いままで何度もこのコースは下ったが、一度も同じ条件(風や川の表情など)だった事はない。この日も例外ではなく最上川らしい、力強く個性的な表情をしていた。
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本屋にいる時とちょっと違うカンジかな。

 GW中はドライブ三昧で、今度はカヌーかよ!とつっこまれそうだが、実は
そんなに遊んでいない。仕事の事も忘れて遊んだりするのは年2回程度だと、記憶している。だから実際年360日前後は仕事をしているはずだ。いちいち日記もつけていないので、断定する事は控えたい。世の中に、絶対こーだ!なんて言い切るヤツもいるが、そーいうヤツは絶対嫌いだ!
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古口の中洲で朝食
 中洲でカヌーを降り、ささやかな食事をした。コンビニで買ったおにぎり二つと、カップヌードル。水はもちろん最上川の水を使用した。食後は珈琲
、何ともいえない香りがして美味だった…んなわけない。実は用意していったミネラルウォーターを使った。朝、慌ててしまいカップを忘れ、〈塩ラーメン珈琲〉になってしまった。でも実に美味かった。
要するに、このロケーションの中での食事は、どんなもんでも、なんでも美味いのだ。
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食後の後は恒例の「中洲でトイレ」、青空の下では家のトイレとは異なる格別の爽快感で、こりゃもうクソになる、いや、クセになる(失礼)。是非お試しあれ、…川面の風がなんとも肌に優しいのだ。

さて、後半は次回に。
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昭和のくらし6・子ども】農文協刊 より

 前回、弘前のお化け屋敷で「わくわくドキドキ」の子ども時代にワープしたと書いたが、子どもの頃は、とんでもない「きかなす」なガキだった。
先生から、毎日いつでも叱られていて、褒められる事は万に一つあるかないかの程度だった。目立とうと思って騒いだり、いたずらしたりと、そのことにだけ「アイデア」の限りを尽くした。で、いつも結末は、上の写真のようになった。

 小六の寒い冬、当時は石炭燃料のだるまストーブで、その日は教室の石炭を燃やしすぎてなくなってしまった。そこで友だちの悪ガキと授業を抜け出し、石炭(たんこ)小屋まで行き、制服の腹に石炭を詰めるだけ詰め込んで持ち帰ろうとした。教室まであと10メートル、のところで運悪く手前の教室から出てきた「校長」とばったり出くわしてしまった。ビクッとした瞬間「ゴトッ」と石炭が足元に落ちた。「石炭ドロボーしてきたな」と校長、「んだて、みんな寒がってっから…」と一生懸命説明したが、結局僕らはヤツから「石炭(たんこ)泥棒」という輝かしい名前を頂戴した。延々と御小言を言われ最後に「春になったらダラ汲み(便所汲み)させっがらな!」と宣告された。

 雪が解け春になり、当然そんなことはすっかり忘れいつも通り「いたずら」に精を出していると、ある日校内放送で「アツシとトシユキ、職員室に来なさい」という恐ろしい校長の声がした。

ヤツは、しっかり憶えていて「あの時の罰として、やってもらうがらな、こっちさ来い」「ほれっ、これが柄杓と桶だ、汲んだら畑さ、ちゃんとかげろ」…。

「コイツ本気でさせるつもりがぁー」と子どもながらに思った。
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【昭和のくらし6・子ども】農文協刊 より
こんな顔をしながらポカーンとしてしまっていると
後から「私もすっから」と山形大を出て間もない、とってもキレイな「カツコせんせ」が現れ、ほとんど一人でやってくれた。その時の、先生がはいていた白いトレパンに付いた黄土色のシミは脳裏に焼き付いていて、いまでも本当に申し訳ないことをしたと思っている。
「僕らが悪い事をすれば、先生が辛いことになる」と、それからは「かなり」おとなしくなったと思う。

 今回の貧乏旅行は、弘前公園の桜で、周りの音が消えるほどの感動を味わったし、「お化け屋敷」で子ども時代への「旅」もする事が出来た。

 桜に囲まれ、雄大な岩木山(写真の正面)を前に、花見客には目もくれず20060508153544.jpg
外堀(釣り禁止)でのんびり釣りをしているジーさんには会えたし、

帰りに、ピークを過ぎてしまった角館の桜を見ることもできて、
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「好機」はそうあるものではない、事を痛感した旅だった。

 現在の書店界の状況は実に厳しいものがある。当店ももちろんそうなのだが、書店もがんばりつつ、出来うる限り【いまを楽しんで】行きたいと思う。

・・……とんでもない悪ガキで先生をいつも困らせていたのに、いろいろと守ってくれ優しくしてくれた「カツコせんせー」好きでした。

これで貧乏本屋北東北の旅は、おしまい。

さて、今度はどこへブッ飛んで行こうかな。
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「DAYS JAPAN」誌 山田養蜂場のCM

 ガンジーの「善きことは、カタツムリの速度で動く。」は好きな言葉の一つだ。だとすれば目まぐるしく変化する現代は、あんまり「善き」方向に向ってはいないのかもしれない。
 と言いつつも車をブッ飛ばして「北東北の旅」を決行している僕は何なのだ。でもなんだかんだ「矛盾」て言葉も結構好きで、「ま、いいか」とビュンビュン飛ばすいい加減な、僕なのだ。
 あえて弁解すれば、飛行機で移動するより断然ゆっくり旅な訳で、そんなに「矛盾」してはいないはずである、…絶対。なんちゃって。

で、青森市を早朝6時に出発、一路弘前公園を目指した。近づくにつれて「私たちも見ていって」と、そこかしこに桜が咲き誇っていた。
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弘前市手前の国道7号線、両脇と中央分離帯、三列の見事な桜並木

 弘前公園には七時に到着しグルッと車で一周して、なぜここが東北一の桜と絶賛されるのか納得させられた。公園内に入るとこれまた素晴らしい景色が目に飛び込んできて、圧倒されてしまった。
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 既に城内は多くの人で賑わっていて、見事な桜にそれぞれが酔いしれていた。「満開の 桜にみとれ 音消える」という一句が浮かび、次の瞬間「あっ、(定時制高校一年生の作品の)パクリだった」と反省。でもそれほど素晴らしかったのだ。
 幾度も感嘆のため息をつきながら散策すると、目に入ったのが
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 弘前の桜にそぐわない、という方もいるとは思うが、「やっぱり、こういうのがないとね」と嬉しくなってしまった。桜とダンゴがセットのように、まつりには「見世物小屋」だと思う。おかげで一瞬にして「わくわくドキドキ」の子ども時代にワープしたようだった。

つづく。
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店に向う途中にあるすごく「気になる看板」電話「22-237」

 毎日通る道に空地があり、いつもは何気なく通り過ぎていた。今朝、看板をじっと見てみると、軽い違和感があり、腕組みして思考してしまった。

 おそらく地主の方が立てたのだろうが、「土地を売ってみたいとは思っているが、本音のところは誰にも売りたくない」さらに「ウチの土地だから誰もここに入って来るな」という意思表示なのだろう。要するにこの看板は、犬の世界なら「マーキング」ということだろうから、「おらの土地だ」と宣言しているだけなのだ。絶対そうだ!

 と、なんで熱くなってしまっているのかわかんないが、ヒトの発信するメッセージにはいろんなものがあるなぁと思うわけ。

貘書房にも当然あるわけで、先ず入口から
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という感じ。「ワガママな貘書房」って、わざわざ書かなくとも、周知の事実。冬には「冬なので…」という張り紙がしてあったらしい。じゃあ夏は「夏こそ…」なんて、どーせ書くのだろう…。そんなヤツなんだ、ここの店主は!

で、狭い店内を見渡すと
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なんてぇのもある。
余程なのか、「くるちい」という表現に本当の苦しさが滲んでいる。

また、
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「貘、未来へ!」…「パクリ」。

あるいは
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という著名な方からメッセージをいただいてしまう。店主はそれを真に受け、流れに逆らい過ぎて、敵が増え、もう大変な状態。

最後に
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金田さんからいただいた、おみやげ『ペナント』
いただいて嬉しかったのだが、実のところ「???」。やはり腕組みして『思考』してしまった、彼のメッセージは一体何を伝えようとしているのか。

ペナントは小学5年の時、仙台・松島旅行に行った時に親に買ったそれ以来だった。しげしげと眺めていると、懐かしいあの頃の思い出が次々に浮かんできて、迂闊にも、ほのぼの気分になってしまっていた。

彼の狙いはここだったのか、とジィ~ンときてしまったので、翌日彼にその真意を尋ねてみた。ただ「これ店に貼っておいて…」って買って来てくれたらしい。
…深読みし過ぎだったかー。いゃ全然読めなかったけど、ありがとうね。

ヒトが発信するメッセージはいろいろある、だから面白いのね。ははは。


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店を開けていてもGW中はお客様も来ないので、4日、5日は休業日にした。お金は無いけど、家には居たくない、だから旅をする事にした。

車にシュラフを積み込んで、北東北をイッキに回ってきた。車中泊は慣れているので、かかった費用は、車とヒトの「食費」だけ。

渋滞や人込みが嫌いなので、いつになく早起きして出かけた。
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道路規制前に角館の武家屋敷周辺を車で回り、某所に駐車、桧木内川堤の桜を堪能し、再び武家屋敷通りを散策して、桜満開の角館を後にした。

車中のラジオの「角館入口7~10キロ渋滞です」と言う道路情報を聞きながら盛岡へ向った。なんと幸運、というかこれが「早起きは三文の得」ということか。はは。

翌日、下北半島の端まで寒立馬に会いに行き、「憑かれた身体」を癒しに恐山へ向う。以前、M日新聞新庄支局にいたM氏とむつ市で待ち合わせ案内してもらう。荒涼たる景色、硫黄のにおい、雨と強風、なるほど「恐山」と言われる場所だった。
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『恐山・宇曽利山湖』大好きな硫黄臭タップリ。
境内にある「男湯」(無料)に入る。とにかくいくら水を入れても、熱くて入れない。「お笑い芸人のやる熱湯風呂なんて、ぬるま湯だ!」と言いたくなるほどで、10秒入ったらキレイに皮膚が剥けてしまうほどの熱さだった。15分ほどすると一般的な「熱い」レベルになり意を決して肩まで、浸かる…「こ、これも憑かれ、を取るだめなのだ」と。

 M氏も一緒に「熱湯風呂」を満喫したのだが、「さっき脱衣場に入ってきた人は?」と聞くと「えっ?誰も来てないよ」……という背筋の凍るようなステキな体験付きだった。

それにしてもM氏と約一年ぶりに会ったのだが、まるで三日ぶりに会ったような親近感は何だったんだろう。相変わらずだった「スーダラ男」に別れを告げ、下北半島を走り抜け、野辺地に暮らす兄と会い、青森市に入った。

そして、次の日、な、なんと…!
さらに貧乏本屋の旅は続く…乞うご期待。
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釣りキチじーさん
 労働組合の旗をなびかせてデモ行進をしていたのは、毎年5月1日じゃなかったかなと思っていたが、近年はその日に限らないらしい。今年は4月29日が「メーデー」だった。
「4月にメーデー?」「なしてぇー」と、たぶんツッコミを入れたくなる人も少なくないだろう。毎年参加する人が減少していて、「レンゴー」さんの方針転換もあったのだろうか。でも「メーデー」は5月じゃないとなー、やっぱり。

 いつも来店いただいているTさんが「メーデーの意味を知ってる?」と言うので「労働者の祭典でしょ」と答えた。すると「本当の意味は、助けてくれーッ、と言う意味なんだよ…」真偽の程はわからないが、後で調べてみると確かにMAYDAYは、世界共通の国際救難信号だった。それと5月1日の「メーデー」とがつながるのかと言うと、まだわかっていない。

 僕なりに考えた、なぜ「メーデー」が5月1日なのか。
やはり4月にやるというのは好ましくないだろう。たとえば4月1日なんかに「メーデー」を設定してしまったら、誰一人本気にせず、祭典は成立しなかったのではないか。
ゴールデンウィーク中だから参加者が減少するのなら、もう既に労働者の労働条件が、充分なほどに改善されてしまっているからではないか。
じゃあ、ここまでいい状態に引き上げてくれた労働組織に感謝する日にしてしまえばいいのでは。そしたら、連休の中の5月1日でも「恩義」を大切にする国、日本の労働者は「絶対」に参加するのではないか、などと。

 僕はただの本屋のオヤジなので、日々10数時間は働く。休みは月に約3日(店はやっている)である。若い頃は、「なんだぁ!この商売は!眠れない、休めない、儲からない…、さいあくだぁー!」などと、よくボヤいたものだが、今は、気力もしぼんじゃったのか「これで、いいのだ」と納得しつつある。

そんな労働を20年近くもやってきたが、僕は「労働者」ではないらしい。
かといって「経営者」としては不適格らしく…。
一体、僕の居場所はどこにあるんだろう。あぁ、「メーデー」に参加できる「労働者」になりたいなぁ。

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店先に生えた「ど根性・草」

「ど根性ダイコン」が一頃話題になっていた。
市長を頭に官民一体でお祭り騒ぎ、枯れ始めると「バイオで延命を」なんてことを平気でやってしまっていた。今はどうなってるのか。
 不景気で、みんな元気出してがんばろう!ってことで盛り上がったのだろうが、あれゃちょっと騒ぎすぎではないのか。
アスファルトやコンクリートの間から生え出てくるのは、確かに大変だとは思う。
僕が草だったら、すぐ「ダメだこりゃ」つってあきらめちゃうな。
 そんなことを考えながらブ~ラブラ歩いていると
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「ど根性タンポポ」が可愛く咲いていた。よく見ると、道路の端っこにはいっぱいいろんな草花が生えていた。
ほとんどの町の人はこれを「雑草」と呼び、すぐ引っこ抜いてしまう。「ゴミ」ということなのだ。
それでも雑草たちはまたすぐ、生えてくる。おそらく自分で「バイオで延命」を計っているわけではない。凄まじい生命力があるだけだ。
このような「雑草」仲間からすれば「ど根性ダイコン」なんて甘チャンだ、と見えているはずだ。
ま、やわらかい布団のような土で育つ野菜といわれるエリート「ダイコン」と、厳しい状況の中で日々雑草のように生きる「雑草」とは「根本」的に違うと言う事だ。
 僕はどういう生き方がしたいかというと、「ダイコン」のように暮らしたいが、現実は「雑草」のように強く生きなければいけない、というところかな。…本屋でも、家庭でも、そして夫婦間でも…とほほ。

人も自然の一部です。ローインパクトで暮らしましょう、という事で 
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