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と、父親に対してとんでもない暴言を吐いたのは、

何をかくそう、当時中学二年生の「僕」だ・・・。
 
 父が市役所職員だったことは前記事にも書いた通り。

口数少なく、いつも笑顔で、どこで引っかかってくるのか

仕事から帰ると、ほんのりと顔は赤らみ、息は酒くさかった。

 山奥の温泉にある「みやげや」は殆ど母一人でやっていた。

母は息子たちの学校帰りを待って、必ず家事や店の仕事を言い付けた。

僕は三男坊、だから小さい頃兄たちが店を手伝うのを「大きくなったら

僕もやりたいなぁ」と思いながら眺めていた。

 店を手伝うようになったのは、小学3年ぐらいからだったと思う。

当時は、じぃちゃん、ばぁちゃんらの湯治客相手に

「じぃちゃん、どっから来たなやー」

「寒河江がらだー」

「あー、んだながー、ゆっくりしていげなー」

「んー、んだなー」

などと、みやげものを包装紙で包みながら

いつも母が客と交わす会話をまねて、大人ぶって接客をしていた。

だから、よくつり銭を間違えた。

客から、「ほれっ、ちゃんと計算すろっ」と、笑われた。


 なつやすみになると、朝から店の前に「品出し」を手伝い、

午前中は店番をした。

10時を過ぎると友だちが、水浴びの誘いに来る。

 すると母は、客の手前「昼までやりなさいね・・・」

と背筋が寒くなるような、笑顔で「威嚇」した。

 おみやげ屋の仕事は、好きだったが、水浴びの魅力に敵うわけはなく、

よく、後でどうなってもいいや!と「覚悟」して、逃走した。

 遊び疲れて家に帰ると、母は、もっと疲れた顔をしていて、

・・・怒られるよりも、つらかった。


 夜はだいたい11頃まで営業していた。飯は食べられる人から

食べ、店にいる母から「手伝ってー」と呼ばれればいつでも

行けるように茶の間で「待機」していた。

とはいっても大抵は、寝転んでテレビを観ていることが多かった。


 僕は、店を手伝っている父の記憶は殆ど、ない。母や兄たちの

記憶だけだ。その頃、どうして母だけが朝から夜遅くまで働きっぱなし

なのか、わからなかった。

「なんで、おとうさんは、働かないんだろう」

 日に日に父に対して「怒り」みたいなものが、溜まっていった。


 中学生になると、僕の上背は今と変わらないほどになっていた。

そんなある日、その「事件」は起こった。

 その日父は、帰宅すると、赤い顔して寝転んで

相撲中継を観ていた。僕も帰ると父の後ろに座った。その時母は、

いつものように店で忙しく働いていた。

なにがキッカケだったのかよく憶えていないが、

突然、父に対して怒りが込み上げ、あの「暴言」を吐いてしまったのだ。

次の瞬間、大人しい父は、ムクッと上半身を起こし振り向きざまに

僕の顔面を「グー」で殴ってきた。

「・・・・・・・・・・・・・・」

そして何もなかったかのように、またテレビの方を向いて寝転んだ。

ビックリしたし、とても「痛かった」。

父が僕に手をあげたのは、生涯この時一度だけだった。

 その後しばらくは、父と目を合わす事も口を訊くこともなかった。

しかし、なにかで市役所に行く用事があった。

そこで忙しく働く父をはじめて目にした時、

あの「暴言」を心から後悔した。その夜、素直に父に詫びた。

父は、いつものように優しく微笑むだけだった。

 もちろんそれ以来、父とは「いい関係」で、良くも悪くも

これでもか、というくらい「父親」を「楽しんで」もらった。


 僕にとって「地方公務員」だった父は、寡黙で、優しくて、強くて、

不器用で、泣き虫で、カッコいい男だった。

今の僕が、父と似ている所といえば「ハゲ」ぐらいなもので

せめて、優しい男にだけはなりたいなぁ、と思っている

今日この頃である。



 ※前記事を書いているうちに、父との「あの出来事」を思い出し

 つい、書いてしまいました。







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