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2007.10.11
「おい、そこの若僧!」
大学時代の僕は、現在の僕の姿を、想像できていただろうか。こんな生き方を選択するんだろうと、果たしてこの「若僧」は思っていだろうか・・・。
下の写真は、僕が大学三年の頃の姿である(向かって左側)。

この時着ている学生服は、数日前に凄まじいケンカをしてボロ雑巾のようになってしまい、友人から急遽借りたものだ。隣を歩く学生は、無二の親友で今は小泉純一郎の地元横須賀で建設業を営んでいる。
この頃の僕は一体何を考え、何になろうとしていたんだろう。山奥の秘湯に生まれ、育ち、新庄という田舎町で高校時代を過ごした「みやげ屋の三男坊」は、大都会のど真ん中で、思い切り羽を伸ばして生きていた。
そしておそらくずっと東京で暮らすものと決めていたはずだ。この頃は、ほとんど毎日、バイトの後、歌舞伎町あたりに繰り出した。どういうバイトをしていたか、あまり言えないけれど決して違法なことはしてない。でも結構いい稼ぎをしていた。約30年前の話だが、月20万前後にはなっていた。「貯蓄」ということを知っていれば、よかったのだが知識としてあったのは「宵越しの金は・・・」なんて言葉だった。だから殆どが「小便」と「人生道場の月謝」に消えた。四年になっても、就職活動など殆どせず、相変わらず「人生道場」に通い詰めだった。たまに学校へ行くと同級生どもが「○○証券、△△銀行に内定したよ~」「オレは○○タ自動車だぁ~」などと、自慢しあっていた。
「小関はぁ~?」
「うるさいょ!お前らみたいに焦んないんだよ、オレは~!」
と言いながらも、内心「そろそろ動かないとヤバイかな」と思った。でも、みんなそうしているから、僕も・・・という学生としては当然の流れに、どこか違和感を感じていた。そんなことよりバイト先の「存続問題」ほうが重要だった。
今の僕の行き方の「素地」になった尊敬するバイト先のマスターが、急逝したのだ。今後どうするか、経営側やスタッフ、そして懇意にしていたお客様みんなで何日も話し合った。
実質運営していたマネージャーが「小関、一緒にやってくれる?」と聞いて来た。
「もちろんです!」
その時、迷いは全くなかった。今から考えると、随分無茶な返事をしたもんだ
と、つくづく思う。「人生道場」に足繁く通った割には、世の中のことなーんもわからない「若僧」だったのだ。今もさほど変わってないけど・・・。
それから3ヶ月ほど二人で運営していたが、ある日突然、マスターのご家族から「廃業したい」と告げられ、実際二人とも放り出されてしまった。
今でもその仲間で「グリーン会」なる集いを催しているが、5年前に参加したっきりで最近は年賀状のやり取り程度になっている。
早稲田政経卒で、超有名製薬会社から、転職し日々楽しく生き、そして36歳で他界したマスター。その彼より十数年もグダグダと生きている僕を、もしマスターが目にしたら、どういう風に写るんだろう。
「おい、そこの若僧!・・・こせきぃ~、ダメだよ~、人生もっともっと、本気で楽しまないとぉ~」
なんて、言われるんだろうな、きっと。

この時着ている学生服は、数日前に凄まじいケンカをしてボロ雑巾のようになってしまい、友人から急遽借りたものだ。隣を歩く学生は、無二の親友で今は小泉純一郎の地元横須賀で建設業を営んでいる。
この頃の僕は一体何を考え、何になろうとしていたんだろう。山奥の秘湯に生まれ、育ち、新庄という田舎町で高校時代を過ごした「みやげ屋の三男坊」は、大都会のど真ん中で、思い切り羽を伸ばして生きていた。
そしておそらくずっと東京で暮らすものと決めていたはずだ。この頃は、ほとんど毎日、バイトの後、歌舞伎町あたりに繰り出した。どういうバイトをしていたか、あまり言えないけれど決して違法なことはしてない。でも結構いい稼ぎをしていた。約30年前の話だが、月20万前後にはなっていた。「貯蓄」ということを知っていれば、よかったのだが知識としてあったのは「宵越しの金は・・・」なんて言葉だった。だから殆どが「小便」と「人生道場の月謝」に消えた。四年になっても、就職活動など殆どせず、相変わらず「人生道場」に通い詰めだった。たまに学校へ行くと同級生どもが「○○証券、△△銀行に内定したよ~」「オレは○○タ自動車だぁ~」などと、自慢しあっていた。
「小関はぁ~?」
「うるさいょ!お前らみたいに焦んないんだよ、オレは~!」
と言いながらも、内心「そろそろ動かないとヤバイかな」と思った。でも、みんなそうしているから、僕も・・・という学生としては当然の流れに、どこか違和感を感じていた。そんなことよりバイト先の「存続問題」ほうが重要だった。
今の僕の行き方の「素地」になった尊敬するバイト先のマスターが、急逝したのだ。今後どうするか、経営側やスタッフ、そして懇意にしていたお客様みんなで何日も話し合った。
実質運営していたマネージャーが「小関、一緒にやってくれる?」と聞いて来た。
「もちろんです!」
その時、迷いは全くなかった。今から考えると、随分無茶な返事をしたもんだ
と、つくづく思う。「人生道場」に足繁く通った割には、世の中のことなーんもわからない「若僧」だったのだ。今もさほど変わってないけど・・・。
それから3ヶ月ほど二人で運営していたが、ある日突然、マスターのご家族から「廃業したい」と告げられ、実際二人とも放り出されてしまった。
今でもその仲間で「グリーン会」なる集いを催しているが、5年前に参加したっきりで最近は年賀状のやり取り程度になっている。
早稲田政経卒で、超有名製薬会社から、転職し日々楽しく生き、そして36歳で他界したマスター。その彼より十数年もグダグダと生きている僕を、もしマスターが目にしたら、どういう風に写るんだろう。
「おい、そこの若僧!・・・こせきぃ~、ダメだよ~、人生もっともっと、本気で楽しまないとぉ~」
なんて、言われるんだろうな、きっと。
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