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2007.10.17
「道路」は誰のものか
13日、街は久しぶりに人で溢れた。ちびっこ山車まつりでは南北商店街に、なんと約10,000人が集まったそうだ。
そのイベントが昼前に終了、するとみるみるうちに人だかりは、どこかに消えた。午後からは、約1000人ほどが、「面白科学体験」「ダンス甲子園」「道路に落書き」などのイベントを楽しんでいた。

面白科学体験は子どもたちに大好評で、おばけシャボン玉やけむりの大砲に歓喜していた。

普段は自動車が占有する道路に、思う存分落書きする子どもたち。

数色のチョークで彩られたステキな服
この子のママは、横でニコニコ笑っていた。こんなステキなママに育てられる子は、それだけで【幸せ】である。

本屋のオジちゃんの顔だそうだ。ごともから道路に落書きされる、これもなかなかの【幸せ】感である。
道路が「自動車」のものになってから、どれほどの年月が経過しただろう。その道路は、警察に何度もイベントの説明し、頭を下げ、使用申請をしてようやく年に一、二度「人」のものになる。いや、していただける。
この日だけは、いつも道路の隅っこをこわごわ歩いている子どもたちも、日頃の「しかえし」をしているかのように僕の目には映った。
しかし、子どもはただ「たのしく」落書きを楽しんでいるだけで、全く「邪気」を感じなかった。
そうして4時前にはイベントを終え、子どもたちの【作品】を商工会議所の皆さんが消してくれ、【道路】は、ふたたび「自動車」のものになっていった。
我々大人は子どもたちの世界を社会の片隅に追いやって今を生きているのではないだろうか。
大人たちは、もう少し「謙虚」に生きていかないと、必ず【未来の大人たち】から手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。
だから、あまり固いこと言わずに、月に一度くらいは、「道路」を「子どもたち」に解放してみては、いかがでしょうか。 子どもたちの目の輝きを曇らせないためにも、その辺をみんなで考えていきませんか。

面白科学体験は子どもたちに大好評で、おばけシャボン玉やけむりの大砲に歓喜していた。

普段は自動車が占有する道路に、思う存分落書きする子どもたち。

数色のチョークで彩られたステキな服
この子のママは、横でニコニコ笑っていた。こんなステキなママに育てられる子は、それだけで【幸せ】である。

本屋のオジちゃんの顔だそうだ。ごともから道路に落書きされる、これもなかなかの【幸せ】感である。
道路が「自動車」のものになってから、どれほどの年月が経過しただろう。その道路は、警察に何度もイベントの説明し、頭を下げ、使用申請をしてようやく年に一、二度「人」のものになる。いや、していただける。
この日だけは、いつも道路の隅っこをこわごわ歩いている子どもたちも、日頃の「しかえし」をしているかのように僕の目には映った。
しかし、子どもはただ「たのしく」落書きを楽しんでいるだけで、全く「邪気」を感じなかった。
そうして4時前にはイベントを終え、子どもたちの【作品】を商工会議所の皆さんが消してくれ、【道路】は、ふたたび「自動車」のものになっていった。
我々大人は子どもたちの世界を社会の片隅に追いやって今を生きているのではないだろうか。
大人たちは、もう少し「謙虚」に生きていかないと、必ず【未来の大人たち】から手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。
だから、あまり固いこと言わずに、月に一度くらいは、「道路」を「子どもたち」に解放してみては、いかがでしょうか。 子どもたちの目の輝きを曇らせないためにも、その辺をみんなで考えていきませんか。
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kouyou-zekkei
思うのですが、
車中心社会も、商店街に人が来なくなった理由の一つでは無いでしょうか?
大人が来なければ子供だって来ません。子供は親の行動を見てます。
車が無ければおかしい、そんな時代が郊外型店鋪を増やしてしまったようにも思えます。
また、改めて考えますと、新庄で四季を通して、毎年この季節になると ここに行きたい!と言う場所も無いようにも思えます。
わたしであれば、そんなとこにも力を入れてみたいですね。^0^
車中心社会も、商店街に人が来なくなった理由の一つでは無いでしょうか?
大人が来なければ子供だって来ません。子供は親の行動を見てます。
車が無ければおかしい、そんな時代が郊外型店鋪を増やしてしまったようにも思えます。
また、改めて考えますと、新庄で四季を通して、毎年この季節になると ここに行きたい!と言う場所も無いようにも思えます。
わたしであれば、そんなとこにも力を入れてみたいですね。^0^
2007/10/17 Wed 19:06 URL [ Edit ]
ヨチコ
本屋のおじちゃんの顔そっくりw
市内にも、安全にのびのび遊べる場所があるといいですね。
キラキラしている子供を増やしてほしいです。
市内にも、安全にのびのび遊べる場所があるといいですね。
キラキラしている子供を増やしてほしいです。
baku
個人的には、季節になると ここに行きたい!という場所は、あります。桜の季節の八向公園、木蔵山から眺める水を張った田園風景、本合海の最上川と秋の夕陽、大雪に埋もれ朝日を浴びる商店街、などです。本気で探せばもっともっと沢山あるかも・・・この際みんなで探しましょうかいっぱい・・・。
市内にも、安全にのびのび遊べる 「道路」 がほしいですよね。
「もがみの子 そこのけそこのけ クルマがとおる」じゃ、こどもたちがかわいそう。
僕は頭がツルツルテカテカですが、子どもの目は、いつもキラキラしていてほしいです。
市内にも、安全にのびのび遊べる 「道路」 がほしいですよね。
「もがみの子 そこのけそこのけ クルマがとおる」じゃ、こどもたちがかわいそう。
僕は頭がツルツルテカテカですが、子どもの目は、いつもキラキラしていてほしいです。
2007/10/18 Thu 17:33 URL [ Edit ]
新庄の下のほうの住人
商店街に人が来なくなった理由は車社会だけなのでしょうか?
大型店舗の進出の影響だけなんでしょうか?
違うと思っています。
30年ほど前の商店街は今よりも1000倍人出がありました。お得意さんがあって「靴を買うならあそこ」「バックを買うならあそこ」「洋服はあそこ」「スーツはあそこ」「おもちゃはあそこ」などなどみなさんお得意さんがあった。
あの頃と比べますと劇的に変わった部分と誰も気がつかないんだけど変わっちゃってる部分があるんですね。
劇的に変わったのは中心商店街から店が消えた点ですね。
誰も気がつかないんだけど変わってしまった点。
それは店主が歳を重ねているということ。後継者問題がどうのこうの言われる時期になっていること。結果お得意さんも歳を取ってしまったこと。
商店街全体が歳を取ってしまったこと。
かつて映画館が3館あり、不二家があり、ロッテリアがあり、クレープ屋があり、モスがあってストロベリーコーンズがあって、洒落た小物屋に学生が集まっていた時代が原宿だとすると今の商店街は巣鴨になってしまったのです。
巣鴨化した商店街に今さら駐車場を作れ若者向けの店で集客しろとか無理です。
どんなに頑張っても若者はみんな車乗って郊外店に行きます。酒田や三川や山形や仙台にまで足を伸ばします。
これは市役所や沓澤内科の駐車場を開放しても客足が増えなかったことが証明しています。
ですから、これからは冗談抜きで活気のある高齢者が集う商店街を目指すべきでございます。
高齢者相手に商売が出来るか!
と怒られるかもしれません。
ただ高齢者がよく言うんです。スーパーのレジで小銭出してまごつくと背後から物凄い「早くしろよ」という圧力を感じてついつい大きいお札で支払ってしまい1円5円玉が溜まって仕方がないって。
本当は高齢者には商店街がいいんだと思いますよ。レジ脇で店主と世間話しながら買い物できちゃうなんていいじゃないかなあ
あと・・・
高齢者は必ず孫をお供に連れてくるでしょう。未来の顧客だと思って接客してみてください。
佐藤石工所脇の松本堰沿いの小道。散策できるようベンチやら置いとくと夏は涼める休憩所として重宝いたします。
もっと欲を言うと石動の親杉の「いぼ石」
あれを商店街に1個移設して、買い物に来た高齢者に体の悪いところをさすってもらいましょう。
大型店舗の進出の影響だけなんでしょうか?
違うと思っています。
30年ほど前の商店街は今よりも1000倍人出がありました。お得意さんがあって「靴を買うならあそこ」「バックを買うならあそこ」「洋服はあそこ」「スーツはあそこ」「おもちゃはあそこ」などなどみなさんお得意さんがあった。
あの頃と比べますと劇的に変わった部分と誰も気がつかないんだけど変わっちゃってる部分があるんですね。
劇的に変わったのは中心商店街から店が消えた点ですね。
誰も気がつかないんだけど変わってしまった点。
それは店主が歳を重ねているということ。後継者問題がどうのこうの言われる時期になっていること。結果お得意さんも歳を取ってしまったこと。
商店街全体が歳を取ってしまったこと。
かつて映画館が3館あり、不二家があり、ロッテリアがあり、クレープ屋があり、モスがあってストロベリーコーンズがあって、洒落た小物屋に学生が集まっていた時代が原宿だとすると今の商店街は巣鴨になってしまったのです。
巣鴨化した商店街に今さら駐車場を作れ若者向けの店で集客しろとか無理です。
どんなに頑張っても若者はみんな車乗って郊外店に行きます。酒田や三川や山形や仙台にまで足を伸ばします。
これは市役所や沓澤内科の駐車場を開放しても客足が増えなかったことが証明しています。
ですから、これからは冗談抜きで活気のある高齢者が集う商店街を目指すべきでございます。
高齢者相手に商売が出来るか!
と怒られるかもしれません。
ただ高齢者がよく言うんです。スーパーのレジで小銭出してまごつくと背後から物凄い「早くしろよ」という圧力を感じてついつい大きいお札で支払ってしまい1円5円玉が溜まって仕方がないって。
本当は高齢者には商店街がいいんだと思いますよ。レジ脇で店主と世間話しながら買い物できちゃうなんていいじゃないかなあ
あと・・・
高齢者は必ず孫をお供に連れてくるでしょう。未来の顧客だと思って接客してみてください。
佐藤石工所脇の松本堰沿いの小道。散策できるようベンチやら置いとくと夏は涼める休憩所として重宝いたします。
もっと欲を言うと石動の親杉の「いぼ石」
あれを商店街に1個移設して、買い物に来た高齢者に体の悪いところをさすってもらいましょう。
2007/10/19 Fri 01:00 URL [ Edit ]
baku
本当にそうですよね。
僕も「高齢者が集う商店街を目指すべき」だと思います。今の状況を考えると、それが自然な流れのような気がします。年配の商店主たちが無理して若者たちを集めようとしても「ウゼぇ」って思われちゃいますよね。やはり街には、これが必要だ、という本当のものを根付かせていかなければ、「再生」なんて有り得ませんよね。北本町でやっている「もてなし金よう市」は、そういう意味で仕掛けたのですが、大きな拡がりには、なっていないのが現実です。でも、毎週おばあちゃんたちが、笑顔で買い物にきてくれるのは、とても嬉しいです。もっともっと笑顔が溢れるようになるには、どうすればいいのかなぁ。いい案があれば、教えてください。お願いします。
僕も「高齢者が集う商店街を目指すべき」だと思います。今の状況を考えると、それが自然な流れのような気がします。年配の商店主たちが無理して若者たちを集めようとしても「ウゼぇ」って思われちゃいますよね。やはり街には、これが必要だ、という本当のものを根付かせていかなければ、「再生」なんて有り得ませんよね。北本町でやっている「もてなし金よう市」は、そういう意味で仕掛けたのですが、大きな拡がりには、なっていないのが現実です。でも、毎週おばあちゃんたちが、笑顔で買い物にきてくれるのは、とても嬉しいです。もっともっと笑顔が溢れるようになるには、どうすればいいのかなぁ。いい案があれば、教えてください。お願いします。
2007/10/20 Sat 12:21 URL [ Edit ]
新庄の下のほうの住人
金よう市の件は拝見させていただきました。感動いたしました。
やっぱり人柄だと思います。
本屋さんも店主の人柄がいいのでリピーターが来ると思っています。
金よう市はずっと続けて行けば必ずや高齢者の間で広がると思います。いきなり目に見えるような変化はかえって金よう市の人に負担になってしまいます。
「かかりつけの医者」を持つように県立で盛んに広めていますが、これを利用してどうでしょう?
「かかりつけの商店をもちましょう」
というのは。
・店主と仲良しである
・多少のわがままが効く
・深夜早朝でも不意の急病になると店を開けて薬を売ってくれる薬局
・お茶のみに店主を誘うと同時に「あれとそれ欲しいから持ってきて」というと持ってきてもらえる
などなどです。
きっかけをどうするか?
そこが難しいところですが。
やっぱり人柄だと思います。
本屋さんも店主の人柄がいいのでリピーターが来ると思っています。
金よう市はずっと続けて行けば必ずや高齢者の間で広がると思います。いきなり目に見えるような変化はかえって金よう市の人に負担になってしまいます。
「かかりつけの医者」を持つように県立で盛んに広めていますが、これを利用してどうでしょう?
「かかりつけの商店をもちましょう」
というのは。
・店主と仲良しである
・多少のわがままが効く
・深夜早朝でも不意の急病になると店を開けて薬を売ってくれる薬局
・お茶のみに店主を誘うと同時に「あれとそれ欲しいから持ってきて」というと持ってきてもらえる
などなどです。
きっかけをどうするか?
そこが難しいところですが。
2007/10/22 Mon 23:55 URL [ Edit ]
baku
「かかりつけの商店をもちましょう」も、大賛成です。しかし、商店がなんとか食べている「今の状態」は、それこそ「かかりつけ」として認識して下さっているお客様のお陰で成り立っているのではと思えます。特に貘書房はそんな感じです。そこでこれからは商店街全体で、さらに市民の皆様に「かかりつけ」という意識を、一人でも多く持っていただくには、どうするか。じゃないかなと思います。
たとえば《販売者》と《消費者》の相互理解を育むような交流イベントが必要なのかもしれませんね。イメージは、農業で定着している《生産者》と《消費者》の交流の仕方です。この辺を見習ってなんかやれないかなぁ。
普段買い物をしてもらっていながらお互いの理解はあまり深まっていない所をなんとかすれは゛・・・。むずかしそうで、やれそうな。でも考えてみる価値は絶対ありますね、これは。
いつもありがどさまです。
たとえば《販売者》と《消費者》の相互理解を育むような交流イベントが必要なのかもしれませんね。イメージは、農業で定着している《生産者》と《消費者》の交流の仕方です。この辺を見習ってなんかやれないかなぁ。
普段買い物をしてもらっていながらお互いの理解はあまり深まっていない所をなんとかすれは゛・・・。むずかしそうで、やれそうな。でも考えてみる価値は絶対ありますね、これは。
いつもありがどさまです。
2007/10/23 Tue 16:07 URL [ Edit ]
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