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2008.01.11 信じる
 自分のことすら信じられないのに、他人のことを信じるなどということは、出来るはずがない。まずは自分を信じられる「自分」にしていくことが、人を信じるために一番大切な作業だと思う。 
 要するにそれが出来なければ、一生人を「信じる」ことがないまま生きていくことになる。
 そもそも「信じる」とはどういうことなのだろうか。ある辞書によれば「疑わずに本当だと思い込む。心の中に強く思い込む」事だそうだ。これからすると「信じる」ということは相当自己をコントロールできる人でない限り至難の業のようだ。でも「心の中に強く思い込む」っていうのは、裏を返せば「人は強く思い込まない限り他人を信じることなんてできねぇんだよ」という意味ではないのか。
 今、この国は一見平穏な顔を見せてはいるが、家族や地域社会、いや日本全体が病んでしまっているのではないか。だから家庭の中でも地域でも、いつ何が起こっても不思議ではない。最近のニュースを見ても、いつ親から、子から、夫から妻から…命を狙われるかわからない状況である。約60年間も戦争のない平穏な世の中のようだが、現代は「家庭」が「戦場化」してしまっている…。
 こうなるといったい「人間」はどこまで愚かな生き物なのだろうかと頭を抱えたくなってしまう。家族間でさえこのような状態なのだから、平穏そうに見える今の社会は、おそらく「虚構」ということになろう。
 家族すら信じることの出来ない社会が、今の日本の現実なのだ。ではどうすればこんな日本を変える事が出来るのだろうか。即効性のある妙薬はないだろうが、徐々に快方に向かわせる薬は必ずあるはずだ。
 ちなみに我が家はというと、やはり女房との関係が緊迫しているかもしれない。心に強く「信ずる」ように思い込んではいるのだが、有事の際の用意は怠らないようにしている。普段帰宅してもけっして気を抜かず、彼女に「うしろ」を取られることはない。たまに気を利かしてお茶などを出されると少々緊張する。そんな時はちょっと目を離した隙に女房の湯飲みに僕のお茶を少量入れ、じっくり様子をうかがう。しばらくしても別段なんの変化もないようであれば安心していただくようにしている。ただ就寝中だけは、「覚悟」して休養をとるようにしている。この時間帯はほとんど無防備なので、ちょっとした物音には直ぐ反応できるようなトレーニングを今後更に積んでいきたいと考えている。
 このように書くと、まるで女房が僕の命をいつも狙っていて、僕は日々防衛に心血を注いでいるように思うかもしれないが、けっしてそうではない。いつ来るかもしれない「決行の日」に備えているだけなのだ。といっても女房は女房で苦労の跡がみえる。たとえば、彼女は炊事をほとんどしない。ばぁちゃんに任せっきりなのだ。これはたぶん台所に出入りしてしまうと、そこは包丁や漬け物石、洗剤・薬品などの凶器が容易に手に入る「家庭内武器庫」なわけだから、感情的にすぐ決行してしまう可能性があるためだろう。…彼女はそれなりに自己制御に努めているのだ。実に涙ぐましい限りだ。
 ここまで女房が頑張っているのだから、僕も与えられた人生を精一杯「生存」していきたいと思うことはなんら不自然なことではない。

いったい「信じる」ってなんなんだろう…。
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