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2008.01.30 「疑う」
前回は「信じる」ことについて、書いたが、今回は
「疑う」をテーマに書いてみたい。・・・どうなるか。
「信ずる」というのはかなりの努力をしないと「獲得」出来ない、
登山に例えればエヴェレストの頂上を極めるようなとてつもなく困難なことだと書きながら気づいてしまったわけだが、「疑う」ことについては、わりと楽に書き進めることができるような気がするのは、甘いだろうか。
 というわけで先ずは、広辞苑で「疑う」を調べてみた。
①ありのままや言われたままを信じず、不審に思う。間違いではないかと思う。
②物事を悪い方に推察する。あやしむ。
…などとある。
今の世の中で起きている多くの事件などを考えると、「疑う」という行為は、しごく当然のこととも言えなくもない。「オレオレ詐欺」や「食品偽装」、「社会保険庁ぐるみの詐欺」や首相・大臣など政治家の発する言葉のデタラメさなどなど…数え上げればキリがない、ほど世の中には「疑って」かからないと大変なことになってしまうようなことが山積みなのだ。しかしなぜか「疑う」という行為は、完全に市民権を得るところまでは至っていないというのが現状のようだ。
 小さなころから「人を疑いなさい」と教育された人は、少ないはずで、大抵は「友人を疑ってはいけません」などと、道徳やホームルームの時間で教わったはずだ。そんな時「なして疑ってだめだなやー」なんて先生にツッ込もうものなら「んだがらオメーはずっと友達いねなだ!」と一蹴されるどころか、一生立ち上がれないような「深い傷」までつけられてしまうような雰囲気だった気がする。要するに僕らは小さい頃から「疑う」ことは「良くないこと」と大人たちに無理矢理、摺り込まれてしまってきたのではないか。
 だから、「ん?変だぞ…」と感じたことでも、無意識に「信じ」ようとしてしまう。ひどいときには「信じてあけなきゃ」ということもなってしまう。そのうえ「助けてあげないと…」などの慈善の心が加わり、最終的に騙されてしまうのではないだろうか。
 ちなみに僕は、ま、みんなそうだと思うが親を「疑った」ことがない。もう両方とも天に召されてしまったが我が子に全く疑われることのない一生を送りきったのだ。当たり前のことかも知れないが、もしかするとこれはスゴイことなんじゃないかと、最近になって思う。
 僕は、彼等のようにゴールできるのだろうか。ちょっと無理だろうな。ふざけた生き方ばっかりしているから、子どもたちにはきっといろんな意味で「疑われて」いるんだろうなぁ。子どもたちが小さかった頃「いいか、お父さんはお前らにお金は残さない。でも借金も残さない。残していくのは、オヤジは思いっきり人生を楽しんだ、という生きざまだけだからな。」なんてことを、よく口にしていた。なんのことはない現実的に「お金は残せない」状態を、カッコつけて言っただけだった。
こんなオヤジ、疑われても仕方ないな…やっぱり。
…へへ。
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