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 「最上はひとつ」は数10年前からあった言葉だ。総務費をスリム化するつもりならば、「合併」はかなり有効だろう。
 
 しかし、行政区域が広域になり、地域が抱える問題がそれぞれにあるため、余程しっかりした行政システムでないと住民の不安や不満は増大するばかりだろう。
 先日、市民プラザで合併についてのシンポジウムが開催された。大学教授の基調講演の後、市町村の首長によるディスカッションがあった訳だが、合併に消極的な首長からは煮え切らない発言が相次いだ。聴衆の中には苛立ちを抑えきれなかったのか声をあげ彼らの発言を制する者もいた。
 首長が住民の将来を最優先に考え、慎重に対応していこうという姿勢は大切である。しかし彼らの表情や発言には、その部分があまり感じられなかった。ある町長は「住民の7割強が合併には反対している・・・」という内容を発言2分という時間を大幅に越えて延々と力説していた。
 予め発言は2分以内と決められていたものを平然と破ってしまう姿勢に、「コンプライアンス」精神の欠如と周囲への配慮を欠く強引さが見え、その町政の行く末が心配になった。
 僕が彼らに聞きたかったのは、合併慎重派の弁明ではない。合併そのものに対して、今までどう向き合い、住民に対してどう説明し、どの方向にすすめようとしているのか、だ。そして、今後、基礎自治体として自立していく自信があるのかどうか、だった。
 そこをちゃんと答えていただきたかった。しかし首長の方々の意思をはっきりと聞く前に、シンポジウムは終わろうとしていた。「いや、一番最後にコーディネーターが聞いてくれるはずだ」と思い、大人しくそれを待っていた・・・。
 ところが「本日はお忙しいところ・・・」となったので、勇気を振り絞り
「あの、これだけ聞きたいのですが、いいでしょうか・・・すぐですから・・・」と慌てて手を挙げた。
「合併をしないで、自立していけるとお考えですか、YESかNOでお願いします」
 という質問をしたが、コーディネーターから「合併の意思は確認できたから」ということで却下されてしまい、シンポジウムは終了した。

「・・・・・・」

 合併に向けて各首長の意見を聞こうという主催者側の意図と、ここまで一堂に首長を集めるために要した苦労は並大抵ではなかったことは、よくわかる。よくわかるが故に、ほんの少しだけでも聴衆が納得できるようなものであって欲しかった。

 その夜、出席できなかったある議員からの電話が鳴った。
「なにオメェ、まだ何がやったってぇ。会場さ行った人がら、今、電話あったぞぉ。ヒゲはやしった変な奴が、なんか言ってだけぞ、って。パフォーマンスだべ、って・・・。」
 
 パフォーマンス・・・。

 僕は、超満員の会場でパフォーマンスできるほど強心臓の持ち主ではない。むしろ発言する時は、必要なことしかしゃべらないし、人前で話すこと自体あまり好きではない。
 じゃあなぜ、発言したのかといえば、それはこのシンポジウムの看板に「子どもの未来」という文言があったからだ。
 僕は一年前、子どもたちの未来にツケを回さないために「なんとかしたい」と立候補した。だから、なんとかしないと、という思いで意を決して立ち上がり、そして首長の方々に「未来の確認」をしようとした(未遂に終わったが)。
ただ、それだけである。
 震える足を抑えながらその思いだけでなんとか立ち上がったのに、それを「パフォーマンス」とは・・・。

 世の中、パフォーマンスだけで劇的に子どもたちの未来が明るくなるのであれば、本意ではないが何度でもパフォーマンスを繰り返したいくらいの気持ちはある。しかしそんなもので本質的なところが変わるはずがないのは誰でもわかっているし、僕自身もわかっているつもりだ。
 今回、終了間際に会場から発言したことに賛否はあるだろうし、果たして何の効果があったのかも僕自身わからない。議員として世の中に身を晒している訳だから何を言われても構わない。しかし「議論」というものは、中味がなければ何の意味もないのではないだろうか。

 僕は、それぞれの人の思い、の延長線上にある行動を、頭から否定し、ただの「パフォーマンスだ」で片付ける人間だけには、絶対になりたくない。

 
 
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