| Home |
2008.10.02
市職員の「失言問題」について
この問題は、街なかでささやかながら活動をしてきた僕としても大変ショックだった。あまりにショックで最近まで心の整理が中々できなかった。
それは、単にマスコミに大々的に取り上げられたからということではなく、どうしてあのような言葉が彼の口から発せられたのか、ということだ。「ただの言葉じゃないか」では片付けられるようなレベルではない、全ての活動の根幹を腐蝕させてしまいかねないような、不安を覚えた。
それは、単にマスコミに大々的に取り上げられたからということではなく、どうしてあのような言葉が彼の口から発せられたのか、ということだ。「ただの言葉じゃないか」では片付けられるようなレベルではない、全ての活動の根幹を腐蝕させてしまいかねないような、不安を覚えた。
あまり普段の会話では聞かない「むしる」という言葉。本当に彼が発した言葉なのだろうか。
この発言の真意は、本人に直接確認しなければなんとも言えない。でも心のどこかにほんの少しでもこの言葉どおりの思いが潜んでいたとすれば、大変な問題だと思う。
言葉は何もないところからは発生しない。ただ「むしる」という意味を、本人が普段別の意味で使用していたとなれば「誤解」として理解することもできる。是非彼の住む「地域特有」の表現で、いい意味の言葉であって欲しいと願わずにはいられない。
彼は数年前から、急速に衰退していく街をただ黙って見ているわけにはいかない、と街の活性化のために尽力してきた。公務員ではあるが、その前に一人の市民だというスタンスで仲間と共に、100円商店街やストリートライブフェスタなど数々のイベントを仕掛けてきた。そしてやるだけでなく、実績も積み上げてきた。特に100円商店街は、全国的に「新庄」の名を広めることになった有名なイベントとして今も続いている。誘客に四苦八苦する商店街にとって、かなり貢献していることは紛れもない事実であり、そこはしっかり評価するべきだ。
「過ちを改めざること これを過ちと謂う」という言葉がある。人生のうち一度や二度の間違いはある、その間違いを間違いとして認めないことが、すなわち「過ち」なのだ、という意味らしい。新庄市としても彼を訓告処分としたが、これを機会になぜあのような言葉が出たのか、本人にはっきりと確認させ、少しでもその言葉どおりの思いが含まれていたのであれば、猛省を促し、完全な改心の後「再起」してもらうべきだと思う。
その再起の時が来て、彼らの活動が真に地域の活力となるような動きであれば、全力で護り、応援していきたいと思う。
スポンサーサイト
まちづくりを思う県民の一人
新庄市にあっては、この出来事の影響はかなり大きいものだと感じます。
特に、彼は本当にがんばっていた人間であったので、尚更ですね。
とは言え、獏さんの言う通り、根底に「何か」がなければ発せられることの
ない言葉かもしれない。
そこは何であれ、過ちは過ちとして反省して、でもまだ若いし可能性を秘めた、新庄市にとっては無くてはならない人材であるので、ぜひ生まれ変わってがんばってほしいと願います。
もうこれ以上、厳しい事を言う必要は無いかもしれないが、この発言の根底には、彼の奢りがあったのではないかと思う。
彼がNPOを立ち上げて、まちづくりの活動を始めたきっかけは何だったのか?恐らく純粋に街をなんとかしなければならないと思ったからだろう。
それが目的で100円商店街を始めたはずだ。
それがいつのまにか100円商店街を広めることが目的になってしまったのではないか?それは彼自身の責任だけではなくて、誇張して宣伝するマスコミにも当然責任がある。
メディアに取り上げられれば取り上げられるほど、100円商店街が一人歩きしてしまう。しかし、現実に100円商店街を行わない時の街なかは、お世辞にも賑わっているとは言えない。それは成功事例とは言い難い。メディアは良い面しか取り上げない。すると、今よりもっと良くしようという努力を怠ってしまう。
活性化に近道は無い。急がば回れである。まちづくりは地道な活動の積み重ねが必要なのだと思う。それがメディアに取り上げられると、名前は急速に広まるかもしれないが、その分、流行と一緒で急速に萎んでしまう危険性があるのではないか?
安易にメディアに取り上げてもらうことの危険性が、そこにあると思う。
新庄発100円商店街は、決してチープなイベントではないというところを、今後は見せていってもらいたいと思う。
さて、もう1つの功罪を述べたい。
今回の出来事は彼が新庄市の職員であるということが、問題を大きくしてしまった原因でもある。
しかし、である。彼が活動していたことは、役人の枠を超えていたことは間違いない。そうせざるを得なかった現実がある。“役所の枠”を超えなければできなかったという事実である。
そこで、あえて言います。やる気のある市職員の失言と、やる気のない市職員に対する報酬と、どちらがバッシングの対象になるのか、ということです。
私は、この問題の本質はそこにあるような気がしてならない。
特に、彼は本当にがんばっていた人間であったので、尚更ですね。
とは言え、獏さんの言う通り、根底に「何か」がなければ発せられることの
ない言葉かもしれない。
そこは何であれ、過ちは過ちとして反省して、でもまだ若いし可能性を秘めた、新庄市にとっては無くてはならない人材であるので、ぜひ生まれ変わってがんばってほしいと願います。
もうこれ以上、厳しい事を言う必要は無いかもしれないが、この発言の根底には、彼の奢りがあったのではないかと思う。
彼がNPOを立ち上げて、まちづくりの活動を始めたきっかけは何だったのか?恐らく純粋に街をなんとかしなければならないと思ったからだろう。
それが目的で100円商店街を始めたはずだ。
それがいつのまにか100円商店街を広めることが目的になってしまったのではないか?それは彼自身の責任だけではなくて、誇張して宣伝するマスコミにも当然責任がある。
メディアに取り上げられれば取り上げられるほど、100円商店街が一人歩きしてしまう。しかし、現実に100円商店街を行わない時の街なかは、お世辞にも賑わっているとは言えない。それは成功事例とは言い難い。メディアは良い面しか取り上げない。すると、今よりもっと良くしようという努力を怠ってしまう。
活性化に近道は無い。急がば回れである。まちづくりは地道な活動の積み重ねが必要なのだと思う。それがメディアに取り上げられると、名前は急速に広まるかもしれないが、その分、流行と一緒で急速に萎んでしまう危険性があるのではないか?
安易にメディアに取り上げてもらうことの危険性が、そこにあると思う。
新庄発100円商店街は、決してチープなイベントではないというところを、今後は見せていってもらいたいと思う。
さて、もう1つの功罪を述べたい。
今回の出来事は彼が新庄市の職員であるということが、問題を大きくしてしまった原因でもある。
しかし、である。彼が活動していたことは、役人の枠を超えていたことは間違いない。そうせざるを得なかった現実がある。“役所の枠”を超えなければできなかったという事実である。
そこで、あえて言います。やる気のある市職員の失言と、やる気のない市職員に対する報酬と、どちらがバッシングの対象になるのか、ということです。
私は、この問題の本質はそこにあるような気がしてならない。
2008/10/02 Thu 23:07 URL [ Edit ]
ヨチコ
このニュースを知った時、
なんであんな風に悪がるのかなあ?
と残念な気持ちになりました。
良くも悪くも、これから更に100円商店街は注目されそうですね。
なんであんな風に悪がるのかなあ?
と残念な気持ちになりました。
良くも悪くも、これから更に100円商店街は注目されそうですね。
cocopapa
確かに彼は間違えを犯したのでしょう。
でも間違えたら、改める。それが一番の成功への近道だと私は思います。
見た目は年寄りだけど、彼はまだまだ30台前半の若者です。そんな彼は間違えながら成長するのだと思います。
多くの方に迷惑をかけ、多くの人から叱られた彼は、実はすごく幸せ者だと思います。
きっと彼も、この叱咤激励をばねに大きくなることでしょう。
でも間違えたら、改める。それが一番の成功への近道だと私は思います。
見た目は年寄りだけど、彼はまだまだ30台前半の若者です。そんな彼は間違えながら成長するのだと思います。
多くの方に迷惑をかけ、多くの人から叱られた彼は、実はすごく幸せ者だと思います。
きっと彼も、この叱咤激励をばねに大きくなることでしょう。
2008/10/10 Fri 23:34 URL [ Edit ]
| Home |