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昭和のくらし6・子ども】農文協刊 より

 前回、弘前のお化け屋敷で「わくわくドキドキ」の子ども時代にワープしたと書いたが、子どもの頃は、とんでもない「きかなす」なガキだった。
先生から、毎日いつでも叱られていて、褒められる事は万に一つあるかないかの程度だった。目立とうと思って騒いだり、いたずらしたりと、そのことにだけ「アイデア」の限りを尽くした。で、いつも結末は、上の写真のようになった。

 小六の寒い冬、当時は石炭燃料のだるまストーブで、その日は教室の石炭を燃やしすぎてなくなってしまった。そこで友だちの悪ガキと授業を抜け出し、石炭(たんこ)小屋まで行き、制服の腹に石炭を詰めるだけ詰め込んで持ち帰ろうとした。教室まであと10メートル、のところで運悪く手前の教室から出てきた「校長」とばったり出くわしてしまった。ビクッとした瞬間「ゴトッ」と石炭が足元に落ちた。「石炭ドロボーしてきたな」と校長、「んだて、みんな寒がってっから…」と一生懸命説明したが、結局僕らはヤツから「石炭(たんこ)泥棒」という輝かしい名前を頂戴した。延々と御小言を言われ最後に「春になったらダラ汲み(便所汲み)させっがらな!」と宣告された。

 雪が解け春になり、当然そんなことはすっかり忘れいつも通り「いたずら」に精を出していると、ある日校内放送で「アツシとトシユキ、職員室に来なさい」という恐ろしい校長の声がした。

ヤツは、しっかり憶えていて「あの時の罰として、やってもらうがらな、こっちさ来い」「ほれっ、これが柄杓と桶だ、汲んだら畑さ、ちゃんとかげろ」…。

「コイツ本気でさせるつもりがぁー」と子どもながらに思った。
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【昭和のくらし6・子ども】農文協刊 より
こんな顔をしながらポカーンとしてしまっていると
後から「私もすっから」と山形大を出て間もない、とってもキレイな「カツコせんせ」が現れ、ほとんど一人でやってくれた。その時の、先生がはいていた白いトレパンに付いた黄土色のシミは脳裏に焼き付いていて、いまでも本当に申し訳ないことをしたと思っている。
「僕らが悪い事をすれば、先生が辛いことになる」と、それからは「かなり」おとなしくなったと思う。

 今回の貧乏旅行は、弘前公園の桜で、周りの音が消えるほどの感動を味わったし、「お化け屋敷」で子ども時代への「旅」もする事が出来た。

 桜に囲まれ、雄大な岩木山(写真の正面)を前に、花見客には目もくれず20060508153544.jpg
外堀(釣り禁止)でのんびり釣りをしているジーさんには会えたし、

帰りに、ピークを過ぎてしまった角館の桜を見ることもできて、
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「好機」はそうあるものではない、事を痛感した旅だった。

 現在の書店界の状況は実に厳しいものがある。当店ももちろんそうなのだが、書店もがんばりつつ、出来うる限り【いまを楽しんで】行きたいと思う。

・・……とんでもない悪ガキで先生をいつも困らせていたのに、いろいろと守ってくれ優しくしてくれた「カツコせんせー」好きでした。

これで貧乏本屋北東北の旅は、おしまい。

さて、今度はどこへブッ飛んで行こうかな。
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