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2009.06.11
「たいまつ」を消す日
「たいまつ07」という会派はなくなったが、僕らはその会派を作るために、集まったわけじゃなかったんだ・・・。
僕らはというより、僕の気持は、と書いた方がいいかも知れないが、この会派に所属したのは、新庄市の行き先見えない真っ暗な洞窟を「たいまつ」を手に持ち、市民とともに進んでいこう、という思いからだった。
たった二年間だったが、少しは「道筋」が見えただろうか。残念ながら、差し込む光は、まだまだ先のように感じているのは、僕だけじゃないだろう。
「たいまつ」を解散して、初めて気づいたことがある。
「たいまつ」なんて、いらない世の中にしなくちゃいけなかったこと。
一人ひとり「勇気」のたいまつを手に取り、翳す、
火は辺りを照らし、進むべき道筋は、くっきりと浮き立つ
一歩ずつ足を進め、地上に這い出て…「たいまつ」を擱(お)く。
僕らと、未来を生きる子どもたちのために、そこまで行かないと。
…頑張る。
たった二年間だったが、少しは「道筋」が見えただろうか。残念ながら、差し込む光は、まだまだ先のように感じているのは、僕だけじゃないだろう。
「たいまつ」を解散して、初めて気づいたことがある。
「たいまつ」なんて、いらない世の中にしなくちゃいけなかったこと。
一人ひとり「勇気」のたいまつを手に取り、翳す、
火は辺りを照らし、進むべき道筋は、くっきりと浮き立つ
一歩ずつ足を進め、地上に這い出て…「たいまつ」を擱(お)く。
僕らと、未来を生きる子どもたちのために、そこまで行かないと。
…頑張る。
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