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2009.06.22 「消滅集落」
 「限界集落」というのは、よく耳にするが「消滅集落」という言葉は、あまり聞かない。先月の新聞にも全国に2641もの限界集落がある、との記事を目にして、これは見過ごせないと…。

 


 2641という数字は国土交通省と総務省が2006年に発表した数字である。2009年の今年は、更に増えているのか、それとも既に相当数の集落が消滅し、減数してしまっているのか、今の時点ではよくわからない。

 昨日、ある地域の方々や大学の先生が企画した「集落消滅を学ぶツアー(仮称)」に参加させてもらった。先生は「県内にも20数か所の限界集落があり、もう消滅してしまった集落も数か所ある。その消滅した集落の2か所と、消滅寸前の集落(1か所)を、これから見てみましょう」と、淡々と内容を説明した。しかし、その話しぶりから、生活環境としては当然厳しいものはあるが、魅力的な集落景観や、長い間育んできた独自の暮らし・文化を「消滅」させて、しまうことへの、無念さといら立ちがビンビンと伝わってきた。さらに「消滅してしまったら…もう再生は不可能なんです」と焦燥感を滲ませ、語気を強めた。

 ゆっくりとバスが1か所目の集落に入って行くと、そこはすでに「消滅」してしまっていた。それはまるで「天空の城ラピュタ」を見たような感覚だった。朽ち果てた民家や荒れた田畑の「痕跡」だけが残っている。人影を見つけ、話を聞くと「春になると、住んでいた家の片付けや残る畑でワラビやぜんまいを作りに、毎日戻ってくる」のだそうだ。またある人は「今は街で暮らしているが、土日には必ず戻ってきて、ゆっくりする…ここにいるだけで体の具合が良くなるから」と話してくれた…。

 人が生きるとか、暮らすとか、地域とか、家とか…そもそも何なんだろう。
 みんな幸せになろうと懸命に日々頑張っているのに、そんな選択肢の一つとして、集落を離れ街に住み、新しい生活を始める。便利で、快適な街の生活は、なぜ彼女を健康で幸せな状態に出来なかったのだろうか。
 この世にまん延する、キレイだの、便利だの、効率化だの、高いだの、早いだの…の様々な価値観は、あくまで「一般的」なもので、けっして、万人に当てはまるものではない。街から遠かろうが、豪雪で家が埋まろうが、そこに住みたいのならば、住むベきではないのか。そして、その土地でずっと暮らしたいと願う住民が一人でもいるのなら、公的にそれをサポートしなければならないのは、当たり前のことだ。しかし、そのような権利は、しばしば「国益」とか「公益」という《大義?》のもとに否定され続けてきた。

  先生によると、集落がなくなっていく要素には、60数項目あり、その中には、公的な過疎化少子化高齢化への公的対策の遅れもがあるが、様々な地域行事を中止する、というのも黄信号なのだそうだ。。
 先生はクルマで集落に近づいていくと、その手前で「集落の衰退度」がわかるのだそうだ。聞くと、道路周辺の「雑草」が教えてくれるのだそうで、大抵はずれたことがないそうだ。 「住民自治の度合い」を「雑草」で見るなんて、感心し、納得もした。なにか今まで出会った大学教授たちとは、全く違う「深み」を感じた。
その先生の話を僕なりに要約すれば、中山間地の集落に対しての早急な対策がないと地域は崩壊し、地域が崩壊すれば、自分は勝ち組のつもりでいる都会も崩壊していく。当然のことながら国も崩壊する。 だから今こそ、産学官民すべてが知恵を出し合い、「集落消滅」の流れを食い止めなければならない、という内容だった。

 では実際、持続可能な集落にしていくためには、どのような要素を加えていけばいいのだろうか。

 そのヒントは、今月24日、夕方6時10分~52分NHK「やまがたニュースアイ」(全県)と、27日、朝7時30分~8時15分NHK「ウィークエンド東北」(東北6県)で、ぜひご覧ください。

※ちなみに僕は「公選職」ということで、映像には映っていません…カッコいいハゲヒゲなのに(笑)。
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