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 「サンデー議会」を開会している上山市議会の意欲的な取り組みを、会議終了後平向議長に上山市議会報を手渡しながら新庄市でも検討すべきだ、と申し入れた。しかし、残念ながら反応は前向きとは、感じられなかった・・・。
 休日議会は、傍聴したくても仕事の都合などでなかなか傍聴できない市民のために、日祭日に議会を開会するものだ。
 上山市議会では、一般質問は通常定例会の場合、執行部側の答弁と合わせて60分だが、サンデー議会の際は、なるべく多くの議員の一般質問を市民に傍聴してもらいたいということで、一議員30分としている。
 議会を傍聴して、普段どのような議論がされているのか、そして市長以下執行部や、議員はどのような仕事振りをしているのかを、より多くの市民が直に見て、感じる。こういう機会は議会を監視し、市政を活性化する上で、かなり有効である。
 市民の多くは「議員なんか、何もしない」「議員なんか、要らない」「議員報酬なんか、もったいない」・・・などと面と向かって口にはしないが、思っているし、いない所では…口にしている。

 僕も議員になる前は、当然思っていたし、言っていた。議員の仕事振りをあまり見ることもなく、傍聴にすら行かず、ただ、一部の議員と話しをしたり、その振る舞いを見たりした少ない情報だけで「判断」していた。議員の様々な仕事を見る機会が少なすぎたのだ。だから無責任に「議員定数を減らせ」などと、声高に言ってもきた。
 しかし、そう言いたくなるような議員もいるかもしれないが…そうでない議員も、いる。僕の反省を踏まえて、市民はそこを、しっかりと確認する必要があるのではと思う。その上で「議員なんか・・・」とはっきり声を上げて欲しいのだ。

 議会は、もっと市民に活動が見えるようなものにしなければ、いつまで経っても市民との「深い」溝は埋まらない。そんな現状を打破すべく全国の自治体では、様々な「議会改革」が進められている。進度の違いはあれど北海道の栗山町、福島県の会津若松市、県内であれば庄内町などなどが、議会改革に意欲的に取り組んでいる。
 しかし会津若松市の「議会改革交流会議」に会派の奥山議員とともに参加した際に食事した飲食店の店主は「議会なんか、昔となんも変わらねぇ」と顔をしかめていた…。
 全国的にみても先進的に「議会改革」を進める自分の街の議会の動きを、彼は全く知らないのだ。もちろん議会が変わったからといって街の景気や市政が、激変することは有り得ない。必ずタイムラグは生じるはずである。でも数ヵ月、あるいは数年後、彼は必ず「変化」を実感することになるはずである。

 僕は、この「変化」を新庄市民に実感して欲しいために、今活動していると言っても大げさではない。必ずそういう日が来ることを、僕は信じている。
 話は少し横にそれるが、現在僕は、53歳、報酬は37万円(手取りは27万円ほど、因みに山形市議は67万円)で任期4年で働かせてもらっている。別にこの金額でも、ありがたいと思っている。思ってはいるが「視察」という形ではなく、各地の先進地に「自分で」出かけたり、色々な団体が主催する会議に参加すればするほど生活がきつくなってくる。せめて、交通費だけでも何とかしてもらえればと思うが、政務調査費は「会派の視察」しか該当しない。新庄市の場合その政務調査費はひと月5,000円である。因みに山形市はひと月12万円、東京都などは月60万円なのだ。もちろん報酬はそれ以上である。

 そもそも政務調査費とは何なのか。あらためて調べてみると「調査研究の経費として地方議会の議員に支給される費用」とある。それを多くの、品格のかけらもない政治家どもが、胸を張って有権者に到底説明できないような使い方をしてきた。新庄市議会の議員はというと、僕が2年間見た限りでは、政務調査費を不正に使用したようなことは絶対にない、と言い切れる。新庄市の場合、会派としては利用できるが、議員個人で政務調査費用を利用することはできない。視察をすれば、必ず足が出るので議員は「自腹」を切って「調査研究」をしている。しかし視察自体も今のような形態であれば、必ずしも有意義な調査研究にならないのは事実でもある。多くの規則に縛られ、がんじがらめの中で、限定的で、深みのない視察しかできないのが現状なのだ。以前「葛巻町視察」でも、その時は総務常任委員会の行政視察だったが、得るものはあったが、もっと深いところの「現実」を知るためには、再びお忍びで町内に入り込むしかなかった。そして全く束縛のない「個人視察」で得たものはより現実に近い、ナマの情報だった。
 でも市民の「税金」なんだからそれくらいの個人負担は当たり前だろう! と怒りたくなる気持ちも…わかる。でも・・・ひと月5,000円は、どうなんだろう。本当にこれが当然の数字なのだろうか。
 この金額を市民はどのように捉えるのだろう。
 「もっとまともな議員活動をしろ!」「市政をなんなとかしろ!」「市民のために寸暇を惜しんで働け!」という市民の声に応えるには、あまりに少ない金額ではないのか。これでは僕のような貧乏議員は、銀行から更に借金をしないと、実際、やっていけない。でも、そこそこの、学校や町内の行事に顔を出すくらいの、活動ならば、やれないこともない。だけど市民は僕に、そんな動きを求めているはずはなく、「市政の赤信号を変えてもらう」ために、一票を託してくれたはずである。

 これを書いてしまうと、おそらく変な誤解を生む可能性もあるが、この際書かせてもらう。僕は、新庄市政60年のなかで、最高の得票数で当選した議員だということは、逃れようのない「事実」である。そのことはおそらく誰よりも僕自身が、重く、深く、感じている。
 だからこそ、その責任を受け止め、考え、悩むわけである。

 政務調査費なんかいらない。宿代もいらない、車に寝ればそれでいい。飯代もいらないし、もちろん日当も、保険だって掛けなくていい。ただ、足代だけは、なんとかお願いしたい。
 そうでないと、(ヒッチハイクでもしない限り)活動が限定されたものになってしまう可能性がある。
今、視察に行きたいのは、というより、新庄のために行かなければならないと考えているのは、愛媛県の今治市「食と農のまちづくの条例」、鳥取市「芝生化事業」、多治見市「議会改革」などである。
 書籍や雑誌、ネットの情報で充分だろう、という声は間違ってはいない。しかし葛巻町に忍者のように「潜入」し、見えてきたものは、全く別の「自治体」の姿だった。現地に行って集める「生きた」情報と、それとは明らかに、別のものなのだ。

 市民の「信号なんか変わらないじゃないか」とか「議員たった一人で、変えられるはずがない」などとという声は、僕自身の耳に最近よく入ってくる。親しい友人は「もっと市民がはっきりとわかることをしろ、目立つことをしろ!」と叱咤する。
 でも僕は、真摯にその言葉を頂戴しながらも「ちょっと違う」と思っている。それは、もっと根本的なところでこの街を変えないことには、もうダメなんじゃないかと確信に似た感覚を持っているからだ。対処的なことと並行して、有効で持続的で、本質的な動きをしていかないと、この街に未来はないと考えている。

「この街をなんとかしたい」という熱い思いは、今なお体全身に漲っている、…はずだ。

 だから、規則に固執しすぎ、本来の自由な審議ができない議会や、がんじがらめに縛られながらの視察の形態を変えたいのだ。

 今、議会改革の波は大きなうねりとして全国の自治体に拡がっている。今年、全国自治体議会改革フォーラムが実施した調査では、全国1,851団体のうち53.9%の議会が「何らかの改革に取り組んでいる」あるいは「もうすでに終了し次の段階に入っている」と回答している。
 もう過半数の自治体が改革へ動いているのだ。
 たとえ、目立たなくともしばらくは、ここに軸足を置いて活動していかなければ、「この街をなんとかしたい」という思いは、具体的に進むことはないと考えている。

 
 
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