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 「この街をなんとかしたい」という強い思いで2007年春に市議会議員選挙に立候補し、誰も予想しなかったような得票数で当選させてもらいました。
 
1 財政情報の100%公開を要求していきます。

2 中心商店街再生に全力で取り組みます。

3 教育・医療・福祉の向上に努めます。

4 治冬事業推進および環境問題改善のために研究・努力します。

5 市議会の活性化と更なる議員定数削減を進めます。

という公約を掲げ、

「信号は待っていれば変わりますが、市政は待っているだけでは変わりません」

というキャッチフレーズで選挙活動を展開しましたが、それがすべて正しかったのかというと、決してそうではないことに今、気付き始めています…。



 公約の1~4については、当然進めていかなければ、これからの新庄市は大変なことになると考えていることには変わりありません。
 しかし、5については、少し違うのではないかと感じるようになってきました。議会の活性化は絶対にしなければなりませんが、「議員定数削減」については、必ずしもそうではない、と考えるようになりました。

 地方自治は、首長を先頭にした執行部側と、議会側の2つの構造になっていて、それは「二元代表制」と呼ばれています。つまり「首長の山」と「議員の山」の、2つの山で構成されているわけです。主に「首長の山」で政策や事業を企画立案し、それを「議員の山」が、「承認」していくという構図となっています。
 新庄市の場合も他の例に漏れず、市長の山」は富士山のごとく強大で、「議会の山」は杢蔵山のように弱小というのが「現実」です。これは新庄市に限らず全国の自治体を見ても、どこでも似たような構図になっています。しかしこの構図を変えずして、地方自治は変わらないと、全国の議会が動き始め、少しずつ成果が現れてきています。

 新庄市では、負の遺産として(そうと認識していない方々もいる)遺された膨大な借金を減らすことを理由に、行財政改革が積極的に進められてきています。その結果、20年度の「実質交際費比率(夕張市問題で話題になった自治体財政の健全度を測る指標で、3年間の決算で25%を超えると外部監査が義務付けられ早期健全化計画を国に提出しなければならない)」は、単年度の数字ですが24.49%と国が決めた早期健全化基準内に収まりました。しかし残念なことに過去3年を平均した数字を求められており、25.9%で早期健全化対象自治体となってしまっています。でも、この数字はかなり評価していいものだと思います。

 このように現在の「市長の山」は、強大さに加え、相当の「実力」も兼ね備えているのです。ですから市側から提出された「案件」は、議会では余程の事がない限りすべて「承認」、ということになっています。それに引き換え、スケールや質も含めて「議会の山」が弱小すぎるのです。こうなると、市長の山が進めようとすることは、すべて通ってしまうことになりかねません。これが恒常化すれば、最終的には「議員なんかいらない」という「議会無用論」にまで繋がっていくのです。

 以前の記事に書いたように、今年の3月定例会で「市職員給与引き上げについて」の議案が、「市長の山」から提出されました。市民感情や、地域の景気悪化のことなどを考えれば、間違っても提案できるものではない議案でした。その議案を通そうと、執行部は懸命に議員に対し根回しや、説得をし、議員によっては「脅し」ともとられかねないような「圧力」を感じる言動を受けたりもしました。しかしなんとか、10名ちょっとの議員は市民の側に立ち、「否決」するということがありました。

 何が言いたいかというと、「議会(議員)の山」が質も含めて弱小過ぎると、「市長の山」の思うがままに市政が進められてしまう危険があるということなのです。議会が弱くなれば弱くなるほど、執行部はことを進めやすくなるのです。
 もしかすると執行部には、行財政改革推進という旗頭のもとに、議会の予算を削減し「議会の弱体化」をはかる狙いがあったのかもと、勘ぐりたくもなってくるのです。さらに言わせてもらえば、「議員定数削減」は、本当に市民の中から湧き上がってきた声なのか、と疑いたくもなってくるわけです。

 このような経緯もあり、今僕は「議員定数削減」については、これ以上進めてはならない、と考えるようになりました。これからは当面、定数を変えず議員体制の「刷新」をめざすべきです。また政務調査費などでない、議員としての活動を経費の面で支えるような別のシステムを再構築すべきだと感じています。

 現在の状況で、議員になれるのは、ある程度のお金と、自由な時間を持っている市民に「限定」されています。いま、限られた若者と女性しか政界に存在しないのは、そのことが大きく影響していると思います。 自分の身を人前に晒し、4年間限定で、手取り27万円、落選したらその後の保障は一切なし。これでは人生設計が全くできないし、余程気高い志を持った若者か、バカでない限り議員になることはできないと思います(因みに僕は後者の方ですが)。

 一口に「刷新」といってもこのような現実もあるわけで、なかなか順調には進まないと思います。ただ「若い」とか「女性」ということで、選出しても「○○チルドレン」のように、変に老成していて、重鎮から操縦されっぱなしの「新人議員」では、元も子(チルドレン)もなくなってしまいます。有権者も今度は、雰囲気に乗せらけることなく、少なくとも「成人した人間を、チルドレンなんて呼ぶんじゃねぇ!」とはっきり主張できるような候補者を選出すべきだと思います。
 議員の目標は「当選」すること、ではありません。それは単なるプロセスで「当選」をゴールと設定したその時点から「無用議員」になってしまう可能性があります。あくまで目標は、この街に明るい未来への道筋をつけること、だと思います。とは言っても、あまりにも「遺産」が大きすぎて、一朝一夕に「解決」とはいきませんが、財政危機もなんとか回避できそうな目途もつきましたし、一層頑張って、未来につながる現在を、良くしていきたいと思っています。

 論語に【過ちを改めざる、これを「過ち」という】というのがあります。どんな人でも間違いを犯すものです。その間違いを間違いとして認め、改善しないことが、間違い、なのです、という意味です。
 この2年間議員として多くのことを経験させてもらいました。選挙の際に約束したことは、現在も実現に向けて頑張っています。しかし「議員定数削減」については、市民にとって必ずしもよい選択ではない、と最近になってようやく気付きました。
 これからは少数ながらも精鋭ぞろいの議会となるように、「議会刷新」というメッセージを事あるごとに発信していきたいと思っています。
 そしてもちろん僕自身も「少数精鋭」の一員に入れるように、これからさらに精進を重ねていきたいと思います。
 
 
 
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