| Home |
2010.05.29
「もっと別のところに」
この記事は、5月5日に書いていた記事だが、政治家である自分を擁護しているようでもあるし、なんか長いし、つまらないなと、ボツにした。
でもあらためて読んでみると、国政や地方の政治現場などのことに触れていたので、今回加筆して載せてみることにした。
でもあらためて読んでみると、国政や地方の政治現場などのことに触れていたので、今回加筆して載せてみることにした。
政治家になってみると、様々な「主催者」から声をかけられる。「できましたら顔を出してください」という、ご配慮いただきながらのお誘いには、なんとか参加して差し上げたくなる。
しかし、頭から「お前らは参加するのが当り前」と決め付けられると、意地でも参加したくなくなる。これはあくまで政治や選挙関係での話である。政治家と言っても、国会議員もいれば、地方議員もいる。地方議員の中でも市議会議員というのは一番下層として位置づけされているらしい。
どうしてそう感じるのかと言うと、国政選挙、知事選挙、そして県議会選挙の際などには、その都度、「兵隊」として「召集」されるからだ。それも当り前のように…。
なんと高飛車な発言、とお叱りをいただくかもしれないが、僕はそんな旧態依然の流れが、通常の感覚を持った有権者があきれ果てるような政治にしているのではないかと感じるのだ。
僕は現在、どの政党にも所属していない。理由は、所属したい、あるいはしなければならない政党が、この国にはないと、考えているからだ。今のところ尊敬できるような政治家にもめぐり会っていないし、最近ではこの国にそのような先生方が、果たしていらっしゃるのかとも思うようにさえなっている(実はずーっと前から思っていたけど…)。今までどおりの流れで本当に、この国や地方を、良い方向に進めることができるのだろうか。国政などで、連日のドタバタ三文芝居を観せられていると余計にそんな思いになり、肺がペシャンコになるほどの深い溜息が出てしまうのだ。
もし、僕が国政で(そんな技量はないけれど)今のような惨状になったら、彼らと同じような行動や発言をするのだろうか。けっして政権党である民主党のことばかりを言っているのではない。マスコミに登場する様々な政治家たちを見ていてそのように感じるのだ。おそらく、僕は彼らのようにはやらないし、やろうとも思わない。
先日、都内で開催された日本自治創造学会の研究大会に参加して、全国の地方議員や首長の方々とお会いすることができた。広い会場には全国から400人弱の参加者があり、それだけで地方自治体や、地方議会の切羽詰った状況を感じ取ることができた。国の状況も待ったなしであるが、地方の、特に自主財源を確保できない自治体は、もうすでに「青息吐息」の惨状となっている。それは間違いなく小泉内閣が進めた三位一体の改革が拍車をかけた。特に地方交付税を激減させたことが、自主財源の確保が困難な地方を集中的に直撃したのである。
この研究大会では逢坂誠二代議士が「日本をジグソーパズルとすれば、三層構造になっていて一枚目が市町村、その上に都道府県、三枚目に国がある。その市町村のピースがしっかりしていないと、日本は成り立たない。」と明言していた。自民党はその市町村のピースをメチャクチャにしたのである。
あまり大きい声ではいえないが、それにしても参加者に「顔のバランス」というか「人相」の良くない(僕のことはさて置き)人物が目立ったのには驚いた。なんか、絶対にトモダチになりたくないようなキモチ悪い「表情」や、一般の人には有り得ないような「態度」「言動」を平気でなさったりしているのだ。「僕もずっと政治家なんかやっていると、あんな顔になっちゃうのかなぁ…あぁは絶対なりたくないなぁ。」と、かなり不安になるほどだった。そんな変な感じのする参加者(お前もだろ!ってツッコまないで下さい)ですら、危機感を持ってこの研究会に全国から集っているのである。ってことは、全国各地に生息する多くの政治家(国会議員を含めて35,722人)の方々は一体どのようなスゴイ顔つきをしているんだろうとか、そもそも政治家ってどういう生き物なんだろうとか、その中に首を突っ込んでいる僕はどうなのかとか、いろんな思いが脳内乱闘し出しで、頭が変になりそうだった。
今、政治家が一番力点を置いているところはどこかというと「選挙」である。僕も気にしないようにはしているが、正直、ある。だから国会議員や地方議員のほとんどは、いかに有権者に、たいしたことしかやれない自分の活動をアピールするかで、頭の中が「パンパン」のはずである。この国を、地方を、どうすれば正常な軌道に戻せるか、そのために日々奔走するような議員はごく稀のようである。政治家としての本道を貫こうとするのであれば、動きのベクトルを、そこの部分に重点的に向けるべきだと思うのだが・・・。
なぜそれができないのだろう。おそらくそこには「有権者」の顔色や動向を気にしなければならない「事情」があるからではないだろうか。僕は、よく他の政治家の方々に「自分の信じた活動をちゃんと任期中にやっていれば、それでいいじゃないですか。」と言う。すると「それはあくまで理想だよ、有権者は政治家が何をやっているのかなんて、見てないよ。見ているのはオフの時間の部分だけ。そして陰口をいうだけ。…それが現実だよ。」とやるせない表情をする。見てもらうために活動するわけではけっしてないが、僕も、あんまり見てもらってないなぁ、と感じるのは事実である。
以前に、あるご婦人から面と向かってダメ出しされたことがある。
「あなたなんか、議員を辞めてしまいなさい。な~んにも、働いてないでしょ!」
「(僕の活動を)見ていただいてのお言葉ですか?」
「そんなの、見てなくてもわかります!」
「えーっ、見てくださいよー。その上でダメ出ししてくださいよー。」
「見ません!」とバッサリ。ま、陰口でないことは、ありがたかったが・・・。
このような、有権者の口々から発せられる「議員不用論」は、一体どうして噴出してくるのだろうか。もちろん議員の不甲斐なさが一番の要因だと思うが、政治家をちゃんと見ようとしないのに、どうして見ることができるのだろう。もしかすると、テレビで露出する一部の政治家の姿や、巷に流れるウワサなどをベースにして、「議員不用論」の根拠としているのだろうか。
そうだとしたら、真摯な活動をしている政治家の人たち(僕は含めていない、けど、ちょっとは含めてもらえると、うれしい。)に対して、余りにも、無責任で失礼な話ではないか。一票を投じたのならば責任を持ってその政治家を「監視」すべきだし、しっかりと「意見」すべきである。陰口だけでは、何も良い方向に進まないのだ。
有権者の中には、そのような責任を果たさず、自分の利益につなげる時にだけ、お願い事だけはしっかりとする人たちがいる。
「・・・・の事、なんとが、頼むやー。」
である。
そこに多くの政治家たちはエネルギーをつぎ込むわけである。これが、つまり「口利き」という行為で、政治家の責務であるかのように誤解されている行為である。その「口利き」によって、過去にどれだけ無用な事業をしたり、しっかりした事業が歪められたり、肥大化していったことか。当市でも思い当たる事業が数々あるはずである(鳥取県では情報公開請求のできる職員への「口利きの文書化」が制度化されている。それ以来、政治家などの圧力的な「口利き」はなくなり、本来の正常な事業計画が進められるようになった。)。政治家本来の仕事とは、もっと別のところにあるはずなのだ。
仮に多くの有権者が望むような「議員不用論」のとおりにことが進んだとする。そうなると二元代表制の機能はなくなり、市長部局の思うままに市政運営が行われる。つまり「独裁体制」となる。自治を真剣に進めようとする有能な首長であれば「おまかせ」でいいかもしれない。しかし、そうでない首長が指揮するような場合、どうなるかといえば、ブレーキの効かない欠陥車に乗っているのと同じ状態になるのだ。そのブレーキの役割を果たすのが、本来は議会なのである。実際はなかなか効きのいいブレーキを装備している自治体は少ないが、最近では徐々に増えつつあるようだ。
さらに、有権者が望む「議員定数削減」が進めばどうなるのか。「少数精鋭議会」になっていいだろう、と僕も最近までは、そう考えていた。事実、若くて地域全体の福祉向上を考えられる人材は、間違いなく必要である(でも、老成している若い人も多くいるのも事実)。しかし、そのような候補者が当選する前に定数削減、となると有権者が思い描くような結果には、決してならない、と考えるようになった。
それこそ性急な「議員定数削減(特に保守的地盤の地方で)」をすれば、「地盤、看板、カバン」で多くの有権者をガッチリと掴んでいる、ベテラン候補者の「思うツボ」なのである。「入れ替え戦」は、綿密な計画と、ある程度のスパンが必要なのだ。「入れ替え戦」に失敗すれば、そのツケは当然有権者が支払うことになる。
次に「議員報酬の削減」が進んだとする。新庄市の場合、今年度の予算全体に占める報酬の割合は約0.5%である。決して現在の報酬を正当化するつもりはないが、その中からまた数パーセントを削減することは予算全体から見て、どのようなプラスの効果を生むのだろうか。それよりも削減や中止・廃止をしなければならない事業はあるはずである。その事業仕分けをするには、議会内で検討委員会を組織する人員確保が必要である(一般的に、ちゃんと委員会として機能する議員数は1委員会6~10人必要と言われている)。また議員報酬削減は、子育て世代を代表するような若い候補者には、かなりの高いハードルとなる。4年ごとの不安定な仕事では、将来設計など絶対に立てられないはずである。その上議員定数削減となると、若いとしても二世議員、あるいは裕福な有力者の御曹司程度しか立候補できなくなり、当選する確立も極めて低くなってしまうと予想することができる。どちらに近い結果になるのかは、後にならないと解らないが、このように有権者の皆さんの思いと、僕の予想とは相当の開きがある。
このシミュレーションはあくまで、僕たち政治家や有権者の皆さんの意識が「今のまま」だとしたらの話である。
ここはやっぱり、みんなで、全ての物事に「そもそも」という再確認の意識をもって、もっと別のところに「鋭い目」と「能力」を向けていくべきではないのだろうか。その辺がスムーズに変化していけば、国家も地域自治も、格段に成熟度を増していくのではないか、と考えるのだが・・・。
※ 遠慮のない、ご批判をお願いします。
終わりに、沖縄の基地問題について、日本丸の船長である鳩山首相に対してちょっと一言、
「アメリカと沖縄、どっちを向いて決めたのデスカァ?アナタハ。」
しかし、頭から「お前らは参加するのが当り前」と決め付けられると、意地でも参加したくなくなる。これはあくまで政治や選挙関係での話である。政治家と言っても、国会議員もいれば、地方議員もいる。地方議員の中でも市議会議員というのは一番下層として位置づけされているらしい。
どうしてそう感じるのかと言うと、国政選挙、知事選挙、そして県議会選挙の際などには、その都度、「兵隊」として「召集」されるからだ。それも当り前のように…。
なんと高飛車な発言、とお叱りをいただくかもしれないが、僕はそんな旧態依然の流れが、通常の感覚を持った有権者があきれ果てるような政治にしているのではないかと感じるのだ。
僕は現在、どの政党にも所属していない。理由は、所属したい、あるいはしなければならない政党が、この国にはないと、考えているからだ。今のところ尊敬できるような政治家にもめぐり会っていないし、最近ではこの国にそのような先生方が、果たしていらっしゃるのかとも思うようにさえなっている(実はずーっと前から思っていたけど…)。今までどおりの流れで本当に、この国や地方を、良い方向に進めることができるのだろうか。国政などで、連日のドタバタ三文芝居を観せられていると余計にそんな思いになり、肺がペシャンコになるほどの深い溜息が出てしまうのだ。
もし、僕が国政で(そんな技量はないけれど)今のような惨状になったら、彼らと同じような行動や発言をするのだろうか。けっして政権党である民主党のことばかりを言っているのではない。マスコミに登場する様々な政治家たちを見ていてそのように感じるのだ。おそらく、僕は彼らのようにはやらないし、やろうとも思わない。
先日、都内で開催された日本自治創造学会の研究大会に参加して、全国の地方議員や首長の方々とお会いすることができた。広い会場には全国から400人弱の参加者があり、それだけで地方自治体や、地方議会の切羽詰った状況を感じ取ることができた。国の状況も待ったなしであるが、地方の、特に自主財源を確保できない自治体は、もうすでに「青息吐息」の惨状となっている。それは間違いなく小泉内閣が進めた三位一体の改革が拍車をかけた。特に地方交付税を激減させたことが、自主財源の確保が困難な地方を集中的に直撃したのである。
この研究大会では逢坂誠二代議士が「日本をジグソーパズルとすれば、三層構造になっていて一枚目が市町村、その上に都道府県、三枚目に国がある。その市町村のピースがしっかりしていないと、日本は成り立たない。」と明言していた。自民党はその市町村のピースをメチャクチャにしたのである。
あまり大きい声ではいえないが、それにしても参加者に「顔のバランス」というか「人相」の良くない(僕のことはさて置き)人物が目立ったのには驚いた。なんか、絶対にトモダチになりたくないようなキモチ悪い「表情」や、一般の人には有り得ないような「態度」「言動」を平気でなさったりしているのだ。「僕もずっと政治家なんかやっていると、あんな顔になっちゃうのかなぁ…あぁは絶対なりたくないなぁ。」と、かなり不安になるほどだった。そんな変な感じのする参加者(お前もだろ!ってツッコまないで下さい)ですら、危機感を持ってこの研究会に全国から集っているのである。ってことは、全国各地に生息する多くの政治家(国会議員を含めて35,722人)の方々は一体どのようなスゴイ顔つきをしているんだろうとか、そもそも政治家ってどういう生き物なんだろうとか、その中に首を突っ込んでいる僕はどうなのかとか、いろんな思いが脳内乱闘し出しで、頭が変になりそうだった。
今、政治家が一番力点を置いているところはどこかというと「選挙」である。僕も気にしないようにはしているが、正直、ある。だから国会議員や地方議員のほとんどは、いかに有権者に、たいしたことしかやれない自分の活動をアピールするかで、頭の中が「パンパン」のはずである。この国を、地方を、どうすれば正常な軌道に戻せるか、そのために日々奔走するような議員はごく稀のようである。政治家としての本道を貫こうとするのであれば、動きのベクトルを、そこの部分に重点的に向けるべきだと思うのだが・・・。
なぜそれができないのだろう。おそらくそこには「有権者」の顔色や動向を気にしなければならない「事情」があるからではないだろうか。僕は、よく他の政治家の方々に「自分の信じた活動をちゃんと任期中にやっていれば、それでいいじゃないですか。」と言う。すると「それはあくまで理想だよ、有権者は政治家が何をやっているのかなんて、見てないよ。見ているのはオフの時間の部分だけ。そして陰口をいうだけ。…それが現実だよ。」とやるせない表情をする。見てもらうために活動するわけではけっしてないが、僕も、あんまり見てもらってないなぁ、と感じるのは事実である。
以前に、あるご婦人から面と向かってダメ出しされたことがある。
「あなたなんか、議員を辞めてしまいなさい。な~んにも、働いてないでしょ!」
「(僕の活動を)見ていただいてのお言葉ですか?」
「そんなの、見てなくてもわかります!」
「えーっ、見てくださいよー。その上でダメ出ししてくださいよー。」
「見ません!」とバッサリ。ま、陰口でないことは、ありがたかったが・・・。
このような、有権者の口々から発せられる「議員不用論」は、一体どうして噴出してくるのだろうか。もちろん議員の不甲斐なさが一番の要因だと思うが、政治家をちゃんと見ようとしないのに、どうして見ることができるのだろう。もしかすると、テレビで露出する一部の政治家の姿や、巷に流れるウワサなどをベースにして、「議員不用論」の根拠としているのだろうか。
そうだとしたら、真摯な活動をしている政治家の人たち(僕は含めていない、けど、ちょっとは含めてもらえると、うれしい。)に対して、余りにも、無責任で失礼な話ではないか。一票を投じたのならば責任を持ってその政治家を「監視」すべきだし、しっかりと「意見」すべきである。陰口だけでは、何も良い方向に進まないのだ。
有権者の中には、そのような責任を果たさず、自分の利益につなげる時にだけ、お願い事だけはしっかりとする人たちがいる。
「・・・・の事、なんとが、頼むやー。」
である。
そこに多くの政治家たちはエネルギーをつぎ込むわけである。これが、つまり「口利き」という行為で、政治家の責務であるかのように誤解されている行為である。その「口利き」によって、過去にどれだけ無用な事業をしたり、しっかりした事業が歪められたり、肥大化していったことか。当市でも思い当たる事業が数々あるはずである(鳥取県では情報公開請求のできる職員への「口利きの文書化」が制度化されている。それ以来、政治家などの圧力的な「口利き」はなくなり、本来の正常な事業計画が進められるようになった。)。政治家本来の仕事とは、もっと別のところにあるはずなのだ。
仮に多くの有権者が望むような「議員不用論」のとおりにことが進んだとする。そうなると二元代表制の機能はなくなり、市長部局の思うままに市政運営が行われる。つまり「独裁体制」となる。自治を真剣に進めようとする有能な首長であれば「おまかせ」でいいかもしれない。しかし、そうでない首長が指揮するような場合、どうなるかといえば、ブレーキの効かない欠陥車に乗っているのと同じ状態になるのだ。そのブレーキの役割を果たすのが、本来は議会なのである。実際はなかなか効きのいいブレーキを装備している自治体は少ないが、最近では徐々に増えつつあるようだ。
さらに、有権者が望む「議員定数削減」が進めばどうなるのか。「少数精鋭議会」になっていいだろう、と僕も最近までは、そう考えていた。事実、若くて地域全体の福祉向上を考えられる人材は、間違いなく必要である(でも、老成している若い人も多くいるのも事実)。しかし、そのような候補者が当選する前に定数削減、となると有権者が思い描くような結果には、決してならない、と考えるようになった。
それこそ性急な「議員定数削減(特に保守的地盤の地方で)」をすれば、「地盤、看板、カバン」で多くの有権者をガッチリと掴んでいる、ベテラン候補者の「思うツボ」なのである。「入れ替え戦」は、綿密な計画と、ある程度のスパンが必要なのだ。「入れ替え戦」に失敗すれば、そのツケは当然有権者が支払うことになる。
次に「議員報酬の削減」が進んだとする。新庄市の場合、今年度の予算全体に占める報酬の割合は約0.5%である。決して現在の報酬を正当化するつもりはないが、その中からまた数パーセントを削減することは予算全体から見て、どのようなプラスの効果を生むのだろうか。それよりも削減や中止・廃止をしなければならない事業はあるはずである。その事業仕分けをするには、議会内で検討委員会を組織する人員確保が必要である(一般的に、ちゃんと委員会として機能する議員数は1委員会6~10人必要と言われている)。また議員報酬削減は、子育て世代を代表するような若い候補者には、かなりの高いハードルとなる。4年ごとの不安定な仕事では、将来設計など絶対に立てられないはずである。その上議員定数削減となると、若いとしても二世議員、あるいは裕福な有力者の御曹司程度しか立候補できなくなり、当選する確立も極めて低くなってしまうと予想することができる。どちらに近い結果になるのかは、後にならないと解らないが、このように有権者の皆さんの思いと、僕の予想とは相当の開きがある。
このシミュレーションはあくまで、僕たち政治家や有権者の皆さんの意識が「今のまま」だとしたらの話である。
ここはやっぱり、みんなで、全ての物事に「そもそも」という再確認の意識をもって、もっと別のところに「鋭い目」と「能力」を向けていくべきではないのだろうか。その辺がスムーズに変化していけば、国家も地域自治も、格段に成熟度を増していくのではないか、と考えるのだが・・・。
※ 遠慮のない、ご批判をお願いします。
終わりに、沖縄の基地問題について、日本丸の船長である鳩山首相に対してちょっと一言、
「アメリカと沖縄、どっちを向いて決めたのデスカァ?アナタハ。」
スポンサーサイト
cocopapa
世の中割り切れないことばかりですから・・・。これが正解でこれが不正解なんて無いでしょう。民主党や自民党なんてどうでもいい。政界も経済界も世代交代だと思うんです。口だけだして汗かかない人達は、隠居して相談役に退くべきです。年寄りは要らないといってるのではありません。年寄りには次の世代を育てる役割に退いて欲しい。
じゃないと国は滅びます。滅び行く日本を眺めながら、実は賢いニュー世代達は、海外に逃避しているのです。日本にだけいる政治家では駄目です。世界の若い世代の政治家とも交流を深めるべきでしょう。
鳩山さんですか・・・時代遅れの過保護に育ったボンボンでしょう。母親から日本国という玩具を与えられたみたいに感じてるのでは?飽きたら簡単に捨てちゃうと思いますよ。アメリカも沖縄も考えちゃいませんよ。
じゃないと国は滅びます。滅び行く日本を眺めながら、実は賢いニュー世代達は、海外に逃避しているのです。日本にだけいる政治家では駄目です。世界の若い世代の政治家とも交流を深めるべきでしょう。
鳩山さんですか・・・時代遅れの過保護に育ったボンボンでしょう。母親から日本国という玩具を与えられたみたいに感じてるのでは?飽きたら簡単に捨てちゃうと思いますよ。アメリカも沖縄も考えちゃいませんよ。
2010/05/29 Sat 22:44 URL [ Edit ]
baku
cocopapaさんは、常に世界が視野に入ってるんですね。僕とは全くスケールが違う。小さな舞台で生きてる僕は、までアホですね。
いつも、いい刺激をいただき、ありがどさまです。
ママから日本というオモチャを与えられた由紀夫お坊ちゃまか~。表現がまた、地球規模で…(笑)
いつも、いい刺激をいただき、ありがどさまです。
ママから日本というオモチャを与えられた由紀夫お坊ちゃまか~。表現がまた、地球規模で…(笑)
2010/05/30 Sun 00:08 URL [ Edit ]
太平大
今までは石を投げなかった
一石を投じて基地を知り
二重窓の中の授業を知った
ある北の国とは違う、批判・非難が公然と
できる世のありがたさ
今あるささやかな幸福に気付き
己から他へ目が向けられたとき…
世は振り子
石(意思)を投ぜよ
でも、結婚式と葬式以外にもほめられたいね
一石を投じて基地を知り
二重窓の中の授業を知った
ある北の国とは違う、批判・非難が公然と
できる世のありがたさ
今あるささやかな幸福に気付き
己から他へ目が向けられたとき…
世は振り子
石(意思)を投ぜよ
でも、結婚式と葬式以外にもほめられたいね
2010/06/04 Fri 10:17 URL [ Edit ]
baku
前政権では表に出なかった部分を国民に公開したこと。未だに戦後のツケの多くを沖縄が払い続けていること。自民党と官僚が、六十年もの長い間日本国を自分たちのいいように、造り上げていたこと。などなどを公開したということは、歴史的な功績だと素直に認めるところです。
ただ、政治家は「言葉」が重要だと思います。
言葉によって希望持たせることもあれば、逆に失望させることもあります。
沖縄問題だけが政治じゃないと、かつて自民党が棚上げし続けた問題を次々に処理しようと頑張っているじゃないかという思いは、僕にもあります。
しかし政治家の言葉は軽いものではないと思います。
僕は、首長でもなんでもありませんが、やはり言葉の重要性は痛感しています。
北の国であれば、とっくに処刑されているかも。
できれば辞任のまえに鳩山さんには、アメリカと、沖縄県民と国民の代表としてゼロベースで「そもそも」からの議論をして欲しがったと思います。
みな政治家の道を選択した時から、批判の対象となることは、覚悟のうえだと思います。端くれの僕ですらそうですから…。
でも、ほめられたいですよね、誰だって。
ちなみに僕は、葬式はしないので結婚式の時の一回だけになります(笑)。
ただ、政治家は「言葉」が重要だと思います。
言葉によって希望持たせることもあれば、逆に失望させることもあります。
沖縄問題だけが政治じゃないと、かつて自民党が棚上げし続けた問題を次々に処理しようと頑張っているじゃないかという思いは、僕にもあります。
しかし政治家の言葉は軽いものではないと思います。
僕は、首長でもなんでもありませんが、やはり言葉の重要性は痛感しています。
北の国であれば、とっくに処刑されているかも。
できれば辞任のまえに鳩山さんには、アメリカと、沖縄県民と国民の代表としてゼロベースで「そもそも」からの議論をして欲しがったと思います。
みな政治家の道を選択した時から、批判の対象となることは、覚悟のうえだと思います。端くれの僕ですらそうですから…。
でも、ほめられたいですよね、誰だって。
ちなみに僕は、葬式はしないので結婚式の時の一回だけになります(笑)。
2010/06/05 Sat 08:34 URL [ Edit ]
10432
先日twitterで鳥越や松田甚次郎の事をつぶやいていたら、政治家の笹山登生さんから声をかけられ、彼が書いた田園環境創造論という本を送っていただきました。ただそれだけの事ですが、随分視野が広いなと感動しました。見てくれてる、気にししてくれてる、だけでも人は嬉しいものですね。
「火事が何度あっても、復興する熱い思い。
新庄にはそれが残ってて欲しい」と一文手紙が添えられていました。
「火事が何度あっても、復興する熱い思い。
新庄にはそれが残ってて欲しい」と一文手紙が添えられていました。
baku
「土に叫ぶ」は、恥ずかしながら、何度か触ったことはありますが、めをとおしたことはありませんでした。書店をしていた頃、全国の古書店から手に入れて、書棚に飾っていました。3冊ほどお譲りした記憶があります。10432さん、さすがですね。
「火事が何度あっても…」その思いとは、少し別かもしれませんが、僕の役割を信じて、あきらめずに「たいまつ」を次の世代に繋げたいと考えています。何かお手伝いできることがあれば、遠慮なくどうぞ。・・・「分校」楽しみですね。
「火事が何度あっても…」その思いとは、少し別かもしれませんが、僕の役割を信じて、あきらめずに「たいまつ」を次の世代に繋げたいと考えています。何かお手伝いできることがあれば、遠慮なくどうぞ。・・・「分校」楽しみですね。
2010/06/13 Sun 17:42 URL [ Edit ]
| Home |