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 この記事は、5月5日に書いていた記事だが、政治家である自分を擁護しているようでもあるし、なんか長いし、つまらないなと、ボツにした。
 でもあらためて読んでみると、国政や地方の政治現場などのことに触れていたので、今回加筆して載せてみることにした。


 政治家になってみると、様々な「主催者」から声をかけられる。「できましたら顔を出してください」という、ご配慮いただきながらのお誘いには、なんとか参加して差し上げたくなる。
 しかし、頭から「お前らは参加するのが当り前」と決め付けられると、意地でも参加したくなくなる。これはあくまで政治や選挙関係での話である。政治家と言っても、国会議員もいれば、地方議員もいる。地方議員の中でも市議会議員というのは一番下層として位置づけされているらしい。
 どうしてそう感じるのかと言うと、国政選挙、知事選挙、そして県議会選挙の際などには、その都度、「兵隊」として「召集」されるからだ。それも当り前のように…。

 なんと高飛車な発言、とお叱りをいただくかもしれないが、僕はそんな旧態依然の流れが、通常の感覚を持った有権者があきれ果てるような政治にしているのではないかと感じるのだ。
 僕は現在、どの政党にも所属していない。理由は、所属したい、あるいはしなければならない政党が、この国にはないと、考えているからだ。今のところ尊敬できるような政治家にもめぐり会っていないし、最近ではこの国にそのような先生方が、果たしていらっしゃるのかとも思うようにさえなっている(実はずーっと前から思っていたけど…)。今までどおりの流れで本当に、この国や地方を、良い方向に進めることができるのだろうか。国政などで、連日のドタバタ三文芝居を観せられていると余計にそんな思いになり、肺がペシャンコになるほどの深い溜息が出てしまうのだ。

 もし、僕が国政で(そんな技量はないけれど)今のような惨状になったら、彼らと同じような行動や発言をするのだろうか。けっして政権党である民主党のことばかりを言っているのではない。マスコミに登場する様々な政治家たちを見ていてそのように感じるのだ。おそらく、僕は彼らのようにはやらないし、やろうとも思わない。


 先日、都内で開催された日本自治創造学会の研究大会に参加して、全国の地方議員や首長の方々とお会いすることができた。広い会場には全国から400人弱の参加者があり、それだけで地方自治体や、地方議会の切羽詰った状況を感じ取ることができた。国の状況も待ったなしであるが、地方の、特に自主財源を確保できない自治体は、もうすでに「青息吐息」の惨状となっている。それは間違いなく小泉内閣が進めた三位一体の改革が拍車をかけた。特に地方交付税を激減させたことが、自主財源の確保が困難な地方を集中的に直撃したのである。
 この研究大会では逢坂誠二代議士が「日本をジグソーパズルとすれば、三層構造になっていて一枚目が市町村、その上に都道府県、三枚目に国がある。その市町村のピースがしっかりしていないと、日本は成り立たない。」と明言していた。自民党はその市町村のピースをメチャクチャにしたのである。

 あまり大きい声ではいえないが、それにしても参加者に「顔のバランス」というか「人相」の良くない(僕のことはさて置き)人物が目立ったのには驚いた。なんか、絶対にトモダチになりたくないようなキモチ悪い「表情」や、一般の人には有り得ないような「態度」「言動」を平気でなさったりしているのだ。「僕もずっと政治家なんかやっていると、あんな顔になっちゃうのかなぁ…あぁは絶対なりたくないなぁ。」と、かなり不安になるほどだった。そんな変な感じのする参加者(お前もだろ!ってツッコまないで下さい)ですら、危機感を持ってこの研究会に全国から集っているのである。ってことは、全国各地に生息する多くの政治家(国会議員を含めて35,722人)の方々は一体どのようなスゴイ顔つきをしているんだろうとか、そもそも政治家ってどういう生き物なんだろうとか、その中に首を突っ込んでいる僕はどうなのかとか、いろんな思いが脳内乱闘し出しで、頭が変になりそうだった。

 今、政治家が一番力点を置いているところはどこかというと「選挙」である。僕も気にしないようにはしているが、正直、ある。だから国会議員や地方議員のほとんどは、いかに有権者に、たいしたことしかやれない自分の活動をアピールするかで、頭の中が「パンパン」のはずである。この国を、地方を、どうすれば正常な軌道に戻せるか、そのために日々奔走するような議員はごく稀のようである。政治家としての本道を貫こうとするのであれば、動きのベクトルを、そこの部分に重点的に向けるべきだと思うのだが・・・。

 なぜそれができないのだろう。おそらくそこには「有権者」の顔色や動向を気にしなければならない「事情」があるからではないだろうか。僕は、よく他の政治家の方々に「自分の信じた活動をちゃんと任期中にやっていれば、それでいいじゃないですか。」と言う。すると「それはあくまで理想だよ、有権者は政治家が何をやっているのかなんて、見てないよ。見ているのはオフの時間の部分だけ。そして陰口をいうだけ。…それが現実だよ。」とやるせない表情をする。見てもらうために活動するわけではけっしてないが、僕も、あんまり見てもらってないなぁ、と感じるのは事実である。

 以前に、あるご婦人から面と向かってダメ出しされたことがある。

「あなたなんか、議員を辞めてしまいなさい。な~んにも、働いてないでしょ!」

「(僕の活動を)見ていただいてのお言葉ですか?」

「そんなの、見てなくてもわかります!」

「えーっ、見てくださいよー。その上でダメ出ししてくださいよー。」

「見ません!」とバッサリ。ま、陰口でないことは、ありがたかったが・・・。

 このような、有権者の口々から発せられる「議員不用論」は、一体どうして噴出してくるのだろうか。もちろん議員の不甲斐なさが一番の要因だと思うが、政治家をちゃんと見ようとしないのに、どうして見ることができるのだろう。もしかすると、テレビで露出する一部の政治家の姿や、巷に流れるウワサなどをベースにして、「議員不用論」の根拠としているのだろうか。
 そうだとしたら、真摯な活動をしている政治家の人たち(僕は含めていない、けど、ちょっとは含めてもらえると、うれしい。)に対して、余りにも、無責任で失礼な話ではないか。一票を投じたのならば責任を持ってその政治家を「監視」すべきだし、しっかりと「意見」すべきである。陰口だけでは、何も良い方向に進まないのだ。
 有権者の中には、そのような責任を果たさず、自分の利益につなげる時にだけ、お願い事だけはしっかりとする人たちがいる。
「・・・・の事、なんとが、頼むやー。」
である。
 そこに多くの政治家たちはエネルギーをつぎ込むわけである。これが、つまり「口利き」という行為で、政治家の責務であるかのように誤解されている行為である。その「口利き」によって、過去にどれだけ無用な事業をしたり、しっかりした事業が歪められたり、肥大化していったことか。当市でも思い当たる事業が数々あるはずである(鳥取県では情報公開請求のできる職員への「口利きの文書化」が制度化されている。それ以来、政治家などの圧力的な「口利き」はなくなり、本来の正常な事業計画が進められるようになった。)。政治家本来の仕事とは、もっと別のところにあるはずなのだ。



 仮に多くの有権者が望むような「議員不用論」のとおりにことが進んだとする。そうなると二元代表制の機能はなくなり、市長部局の思うままに市政運営が行われる。つまり「独裁体制」となる。自治を真剣に進めようとする有能な首長であれば「おまかせ」でいいかもしれない。しかし、そうでない首長が指揮するような場合、どうなるかといえば、ブレーキの効かない欠陥車に乗っているのと同じ状態になるのだ。そのブレーキの役割を果たすのが、本来は議会なのである。実際はなかなか効きのいいブレーキを装備している自治体は少ないが、最近では徐々に増えつつあるようだ。

 さらに、有権者が望む「議員定数削減」が進めばどうなるのか。「少数精鋭議会」になっていいだろう、と僕も最近までは、そう考えていた。事実、若くて地域全体の福祉向上を考えられる人材は、間違いなく必要である(でも、老成している若い人も多くいるのも事実)。しかし、そのような候補者が当選する前に定数削減、となると有権者が思い描くような結果には、決してならない、と考えるようになった。
 それこそ性急な「議員定数削減(特に保守的地盤の地方で)」をすれば、「地盤、看板、カバン」で多くの有権者をガッチリと掴んでいる、ベテラン候補者の「思うツボ」なのである。「入れ替え戦」は、綿密な計画と、ある程度のスパンが必要なのだ。「入れ替え戦」に失敗すれば、そのツケは当然有権者が支払うことになる。

 次に「議員報酬の削減」が進んだとする。新庄市の場合、今年度の予算全体に占める報酬の割合は約0.5%である。決して現在の報酬を正当化するつもりはないが、その中からまた数パーセントを削減することは予算全体から見て、どのようなプラスの効果を生むのだろうか。それよりも削減や中止・廃止をしなければならない事業はあるはずである。その事業仕分けをするには、議会内で検討委員会を組織する人員確保が必要である(一般的に、ちゃんと委員会として機能する議員数は1委員会6~10人必要と言われている)。また議員報酬削減は、子育て世代を代表するような若い候補者には、かなりの高いハードルとなる。4年ごとの不安定な仕事では、将来設計など絶対に立てられないはずである。その上議員定数削減となると、若いとしても二世議員、あるいは裕福な有力者の御曹司程度しか立候補できなくなり、当選する確立も極めて低くなってしまうと予想することができる。どちらに近い結果になるのかは、後にならないと解らないが、このように有権者の皆さんの思いと、僕の予想とは相当の開きがある。

 このシミュレーションはあくまで、僕たち政治家や有権者の皆さんの意識が「今のまま」だとしたらの話である。

 ここはやっぱり、みんなで、全ての物事に「そもそも」という再確認の意識をもって、もっと別のところに「鋭い目」と「能力」を向けていくべきではないのだろうか。その辺がスムーズに変化していけば、国家も地域自治も、格段に成熟度を増していくのではないか、と考えるのだが・・・。


 ※ 遠慮のない、ご批判をお願いします。



 終わりに、沖縄の基地問題について、日本丸の船長である鳩山首相に対してちょっと一言、

    「アメリカと沖縄、どっちを向いて決めたのデスカァ?アナタハ。」










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