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 昨日、市役所三階会議室で市民と議会の意見交換会があった。
 これは議長の諮問で組織された「議会改革活性化検討会」が、市民と議会にある距離感を少しでも縮めなければならないとの総意のもと、今回初めて市民の意見を参考にして、開かれた議会のスタートにしようと企画したものであるが…。


 今朝、朝日新聞山形版に目を通すと、いきなり「市民の本音に市議タジタジ」、「活動見えない」、「定数多すぎる」という痛風の痛み程ではないが、痛いような文字が飛び込んできた。
 以下はその記事の抜粋である。

 「開かれた議会」を目指す新庄市議会の議会改革・活性化検討会(7名)は31日、市行政改革市民委員会の委員9人と初めての意見交換会を開いた。
 「市議は地域の催しに選挙の票をもらいに来るだけ」「60年以上新庄に住んでいるが、市議の活動が見えない」
 市民を代表する厳しい本音に市議らはタジタジ。「どうやったら市民との接点ができるのか教えて」と指南を請うのが精いっぱいの様子だった。
 委員からは「学校へ行って子どもたちに面白い授業をしてみたら」「議会の傍聴者を増やすために、地区ごとに傍聴を義務付けたら」などいささか乱暴な意見も。
 「新庄市より人口が多い東根市や寒河江市の議員定数はそれぞれ18。新庄の20は多すぎないか」との指摘も出たが、定数問題を飛び越して「今の報酬では正直、ご飯のタネにならない。4年に一度の選挙もある。大変苦しいのが実情。どうかご理解を」と市議が過剰反応する場面も。
 約2時間に及んだ議論に、ある委員は「勝手な意見が言えてスッキリした」。

 ま、事実である。

 でも、委員の質問に対して、議員がしっかりと説明をした部分も何度かあったはずである。おそらく記者は議会にとっての初めての試みであることを評価しつつも、紙面上の都合もあってこのような記事になってしまったのだろうが、「スタートを切る」ということが最も重要なことではなかったのだろうか。できればそこを、しっかりと記事にして欲しかった。今回は、面白おかしく「つままれてしまった」感はあるが、話題にもならないよりはまししなのかもしれない。

 記者には茶化されたが、他の委員の中には、「(支援を受けた)地区を気にせず議会(議員)と直接話せる座談会などを開催してはどうか。そうした中で議員活動が理解されていけば、市民との連携が進んでいくのではないか。」という今回のテーマにドンピシャな意見などもあったのだ。

 しかし記事中にもある「議会の傍聴者を増やすために、地区ごとに傍聴を義務付けたら」という意見には、少々戸惑った。事実わが市の一年間の傍聴者は111人で、全国平均の286人と比較して少ない。しかしだからといって「義務化」は絶対によくない。傍聴は有権者の「権利」なのだ。

 そもそも有権者は「選挙」においても、それをしっかり行使すべきなのである。「義務的」になるから、どうでもいいような候補者、あるいは当選しても最低限の活動すらできない議員に一票を投じてしまうのである。
 PTAや町内活動で一緒だったからとか、同級生だから、親戚だから、で「ポイ」と一票を入れる。中には「だれそれさんから、入れろって言われて」というような方もいる。もっとひどいのは「うちのじいちゃんの妹の家の息子の嫁の姉が嫁いだところの姑の弟に。」などと殆ど「他人」に一票を、というようなことも平然とやられているのである。その辺から根本的に改革しないことには、本当の意味での住民福祉向上に繋がる改革には至らないのではないか。
 先日参加した市民と議員の条例づくり交流会議の中で、全国の地方議会の改革を取材している河北新報の丹野記者は、話の最後に「(議会)改革は、今のメンバー(現役の議員)ではダメ」とはき捨てるように言っていたが、その思いは痛いほどよくわかった。
 そのメンバーを変えるには何が必要なのかといえば、やはり有権者の意識が変わらない限り、何も変わらないということになるのだ。

 今回の意見交換会では、各議員が委員の質問に対して答えていたのだが、やはり質問と答えがずれていたり、自己弁護に終始したりと、頭を擡げたくなるような場面はあった。しかし「聴く」ことのできる参加者にとっては非常に有意義な意見交換会だったのではないだろうか。

 ちなみに、交流会議での講師が「聴」という字は「ゆるす」とも読むと言っていたが、相手の話にちゃんと耳を傾け穏やかに理解するということだ、と僕は受け止めたが、僕を含めた議員それぞれが、そういう意識で次回からの交換会に臨むなら、議会改革はそう遠くない日に実現できるかもしれない。



 
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