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 昨年の7月末から、研修や視察で新庄を離れる時を除く早朝、主に南北商店街のゴミを集めているが、拾えば拾うほど、多くのものが見えてくる。
 
 ゴミは、いくら拾っても、なくなることはない。毎日毎日ちゃんと誰かが捨てて、誰かが拾うの繰り返しである。もし誰かが拾わなければ、ゴミはどんどん増え続けることになるわけだ。なぜ、ゴミはなくならないのだろうか。もし、ゴミが一つも落ちていない日が、いつか来るとしたらその日僕は充実感や達成感を味わうことができるのだろうか。いつも「何でこんな捨て方するんだろう、バカじゃねーのホント…」などとひとり言を口にしつつも、ゴミを見つけると言いようのない「変な」満足感がある。
 はじめは「帰省する人たちにきれいな街を歩いて欲しい」とか「子どもたちに汚い街の記憶をもって欲しくない」というような思いからの、一歩だったように思う。もちろん今も変わらずそのような思いはあるが、初期の頃とは気持ちが多少変わってきているのかな、とも感じている。
 とにかく「ゴミ拾い」は面白い、のである。あくまで想像の域を出ないが、車道や歩道に落ちているゴミの一つ一つに、捨てた人の行動と心理が読み取れる感じがするのだ。
 例えばタバコのポイ捨てにしても、殆どおなじ場所におなじ銘柄のタバコが落ちていることが多い。これはおそらく、一日の仕事を終え帰宅する際「歩きタバコ」の何者かが、ニコチンで体内が充分に満たされた時点で、役目を終えたタバコはそこに捨てられる、ということなのではないか。タバコは習慣性が強いから、毎日おなじ喫煙行動をしてしまうのだろう。一度定点からカメラを回して検証してみたいが、それは中々できない。
 また「ガム」も似た傾向だ。おなじような歯形や形状で、殆ど同じ場所に吐き捨てられている。雪のない時、それらは主に側溝や生垣の周辺にある。少しの罪悪感からか、ちょっとだけ隠そうとするのだ。しかし雪の多い朝などは、そのまま「ポイッ!」あるいは「プイッ!」なのだ。隠さなくても、雪ですぐ見えなくなるから罪悪感もないのだろう。だから晴れの日が続き、雪が少し解けた後には、ガムとタバコの吸殻を山ほど拾わなければならない。 信号近辺の車道にも、山ほどの吸殻が捨てられる。信号待ちの間の一服なのか、この辺には少し長めの吸殻が多い。まれに車内の灰皿の吸殻を全部こんもりと捨てる「超バカチン」もいる。その銘柄はハイライトだから、年齢的には50歳前後というところだろうか。そういう人たちに限って、子どもたちには「汚くするな」とか「迷惑かけるな」とか、偉そうなことを言っているかもしれない。

 あるイベントで出会った若者が「路上のゴミを見つけても、なかなか拾えない事が多い。そんな時本当に情けない気持ちになる…。」とうなだれながら僕に語ってくれた。「僕は、いつでもどこでも全部拾っているわけじゃない、できる限り、でいいんじゃないの。」と返したが、その若者の気持ちが実によくわかった。拾えなかったことが、罪悪感となり彼を苦しめるのだ。
「あのさ、なんも苦しむこたぁネェよ…平気で捨てるヤツらが一番良くネェんだから、気にしちゃダメだよ。大丈夫だから。」
 平気でゴミを捨てる人たちがいれば、そのゴミを拾えなかったと、悩む若者がいる。捨てれば誰かが片付けなくてはいけないのだ。
 捨てる人たちは、少しだけ「想像力」を働かせ、ちょっとだけ「捨てない努力」をしてはいかがだろうか。そうすれば少しだけ街はキレイになり、拾えなかった人の苦しみも、ちょっとだけ解消されることになる。




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