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2011.09.02
「ん?」って思うこと。
ご存知のように、病的に「ゴミ拾い」をしているが、時々「あれっ?」と思うことがある。
いつものようにうつむいて地面のゴミを探していると、遠くから僕を呼ぶ声がある。ナンだろうとその人に駆け寄っていくと、その人の住む家の道路すぐ向こう側を指差している。「しばらく前から、そこにゴミが落ちている」と言う。で、僕が「えっ?」と言うと再び「そこそこ」と指を差す。
僕はそのお年寄りからすると「ゴミ拾いのエキスパート」に見えたのだろうか。まぁ、そう認識してもらっても別に間違いではないと思う。で、ちょっと変じゃないか、と感じつつも指図どおりそのゴミを拾ながら思った
「おじさんが拾ってもいいでしょ、自分ちの真ん前なのに…」って。
これに似たようなことが、よくある。
区長をしているある方の話だが、玄関で呼ぶ声があって出てみると「歩道にイヌのウンチがあるから、拾ってくれ」と近所の人に言われたそうだ。その場所へ行くと確かにその物体はあって、ちゃんとそれを片付けた。ところが、その場所は呼びに来た住人の家の前だったそうで、「もう、区長なんかやりたくない」と嘆いていた。
雪の降った朝、店の周辺を除雪していた時、道路の向かい側で手招きするご近所さんがいた。行ってみると「ここも、除雪してくれ」と言われてびっくりしたと言うのは、我が女房である。
いずれも、お年寄りの話だから、それくらいしてやればいいじゃないかと思われるかもしれない。しかしその方々は、お年寄りとは思えないほど、しっかりした動作の出来る皆様である。
ではなぜほかの人に、何かをやってもらおうとするのだろうか。人からやってもらえば、自分は「楽ちん!」てな感じなんだろうか。自分よりは若いんだから、それくらいは、しろ!ってことなんだろうか。それとも…。
いくら考えてもその心理は、よくわからない。僕も歳を重ねていくにしたがって、そんな感じになっていくんだろうか。いや、僕は絶対にそうはならない。自分のことは自分でやれる年寄りになる。いずれ、誰かの世話になるはずだから、その時までは、自分でやる。できるだけ「可愛げ」のある、ハゲじじいになってやる。
世の中には、そうでない僕の理想とする素敵なお年寄りは少なくないのに、なぜか近ごろ、「あれっ?」って思うご老人が、ちらほらと見えるのはどうしてなんだろうか。
これから先、今以上の凄まじい高齢化社会がやってくる。そんなおじいちゃん、おばあちゃんが激増しないことを切に願うばかりである。
僕はそのお年寄りからすると「ゴミ拾いのエキスパート」に見えたのだろうか。まぁ、そう認識してもらっても別に間違いではないと思う。で、ちょっと変じゃないか、と感じつつも指図どおりそのゴミを拾ながら思った
「おじさんが拾ってもいいでしょ、自分ちの真ん前なのに…」って。
これに似たようなことが、よくある。
区長をしているある方の話だが、玄関で呼ぶ声があって出てみると「歩道にイヌのウンチがあるから、拾ってくれ」と近所の人に言われたそうだ。その場所へ行くと確かにその物体はあって、ちゃんとそれを片付けた。ところが、その場所は呼びに来た住人の家の前だったそうで、「もう、区長なんかやりたくない」と嘆いていた。
雪の降った朝、店の周辺を除雪していた時、道路の向かい側で手招きするご近所さんがいた。行ってみると「ここも、除雪してくれ」と言われてびっくりしたと言うのは、我が女房である。
いずれも、お年寄りの話だから、それくらいしてやればいいじゃないかと思われるかもしれない。しかしその方々は、お年寄りとは思えないほど、しっかりした動作の出来る皆様である。
ではなぜほかの人に、何かをやってもらおうとするのだろうか。人からやってもらえば、自分は「楽ちん!」てな感じなんだろうか。自分よりは若いんだから、それくらいは、しろ!ってことなんだろうか。それとも…。
いくら考えてもその心理は、よくわからない。僕も歳を重ねていくにしたがって、そんな感じになっていくんだろうか。いや、僕は絶対にそうはならない。自分のことは自分でやれる年寄りになる。いずれ、誰かの世話になるはずだから、その時までは、自分でやる。できるだけ「可愛げ」のある、ハゲじじいになってやる。
世の中には、そうでない僕の理想とする素敵なお年寄りは少なくないのに、なぜか近ごろ、「あれっ?」って思うご老人が、ちらほらと見えるのはどうしてなんだろうか。
これから先、今以上の凄まじい高齢化社会がやってくる。そんなおじいちゃん、おばあちゃんが激増しないことを切に願うばかりである。
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RYUTYAN
あなたは市会議員で、ごみ拾いを趣味にしているのだから、道路に落ちているごみを拾うのは当たり前。私は一般市民だから家の中のことはするけど、外のことはあなたがすべき。という論理は私もスポ少、PTAでいやというほど見てきました。それは高齢者に限ったことではなく、すべての年代においてだと思います。あなた、すべき人、わたし、言っていい人。の論理です。私がこれまで一番びっくりしたのは、スポ少で指導者に「うちの子供のしつけをしてくれ」と言われた時。それに賛同する人が少なからずいる、という現実に唖然としました。自己責任という言葉が通用しないのです。
2011/09/03 Sat 11:41 URL [ Edit ]
baku
お年寄りだけじゃないって…考えてみれば、そうですね。自己責任が理解できないとなれば、自助とか、共助とか…当然無理なんでしょうかね。
2011/09/03 Sat 19:41 URL [ Edit ]
hiroshi
こういう話題をさらりとできるというのは素敵な人ですね。
多分に頼みやすいのかもしれません。とすれば、ガオーと強面を通すか(冗談です)、では、一緒にやりましょうと声掛けるのはいかがでしょう。逃げていく人なのか、ああ、そのままでいいと断るのか、一緒に会話しながらやりたいのか、わかるかもしれません。
私事ですが、うちの畑続きに公共施設があります。緑地なので、草刈機械で大雑把に刈るだけです。しかし、その下にはゴミが沢山埋まっています。気になったので、暇を見つけて草を引き抜き、石をどけて、ゴミを拾いました。しかし、まだほんの一部分です。今度館長さんに会えたら、一緒に回りのゴミを拾いましょう、と声掛けてみたいと思います。綺麗にするというのは気持ちのいいものですね。
多分に頼みやすいのかもしれません。とすれば、ガオーと強面を通すか(冗談です)、では、一緒にやりましょうと声掛けるのはいかがでしょう。逃げていく人なのか、ああ、そのままでいいと断るのか、一緒に会話しながらやりたいのか、わかるかもしれません。
私事ですが、うちの畑続きに公共施設があります。緑地なので、草刈機械で大雑把に刈るだけです。しかし、その下にはゴミが沢山埋まっています。気になったので、暇を見つけて草を引き抜き、石をどけて、ゴミを拾いました。しかし、まだほんの一部分です。今度館長さんに会えたら、一緒に回りのゴミを拾いましょう、と声掛けてみたいと思います。綺麗にするというのは気持ちのいいものですね。
2011/09/03 Sat 20:05 URL [ Edit ]
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