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2012.02.10
「えっ、国会中継を観ないんですか?」
先日、事務所に来られたお客様から、そう訊かれた。「あれは、面白いですよ!」と満面の笑顔で言われると、内心どう答えていいか困った。
はっきり言わせてもらうと、僕は国会中継が、好きではない。というより気持ちが悪くなるので見たくないというのが本音に近い。しかし全く見ないと言うわけにもいかず、仕方なく画面を見ているとそう時間もたたないうちに気分が悪くなってくる。船酔いやクルマ酔いに似た症状が出てくるのだ。
「何言ってるんですか、あなたも政治家じゃないですか…」と、その方からも言われたが、それはなんとも仕方のないことで、あのような質疑や、それどころか的の外れたほじくり方を延々と続けているのを見るのは、ひ弱な人の喧嘩を眺めているよりもっと辛い。今の民主党内閣に対して自民党は何とか政権奪還をしようと攻め立てるが、ある程度までほじくると途端にパワーが弱まるような感じがする。それはなぜかと想像するに、どんどん掘り進めていくと最後には「自民党政権」時代の腐った部分にたどり着くからではないのか。だからある程度でやめておく、あるいは、くだらない上っ面の部分だけを責め上げる、ということになってしまうのではないか。
民主党も誠に残念な党である。政権を獲らせてもらったのならば、その役割は何が何でも果たすべきである。これまでのような「ダッチロール」を繰り返すようであれば、即刻、政権を握りたくてだだっこのように喚いているだけの「自由民主党」に渡すべきである。おそらく、荒ぶる魂とは無縁の弱小チーム同士のラグビーボールのように「政権」をファンブルし続けるとは思うが、どこへ行くのか墜落するのかわからないような「ダッチロール」はマズい。「おめぇら、そんなとこにコチャコチャ手突っ込んで、遊んでる場合かっ!」って怒鳴りたくなってるのは、僕だけじゃないはずだ。
東日本大震災で被災した方々もそうだけれど、全国各地で様々な被災をした人たちがいる。現在も寒波による豪雪で多くのひとたちが被災している。その方々の救済が最優先じゃないのか。それに、何も知らず野山に生きる様々な植物や生き物たちが、放射線被害の「損害賠償請求」をしてきたらどうするんだ。生物多様性などとという考えの重要性を、原発事故前には盛んに各方面の有識者たちが声高に唱えていたのに…。放射能被害を受けているのはヒトだけじゃないのだ。誰か彼らの分の請求をしてくれないだろうか、勝ち取った分は、自然の再生保護に使えばいいじゃないか。
政治家があんなふうになっていったのは、いつ頃からだろう。カッコいいと思える政治家が中々見当たらない
。誰が政治家を「小物」にしてしまったのだろうか。
僕は「第四の権力」といわれるマスコミと、その力に翻弄されてきた国民(有権者)と、その流れに媚諂って蠢いてきた政治家本人たちとが、作りあげてきたのではないかと思っている。
いまさら、そんなことを言っても何も変わることはないし、始まるわけもないが、「お前もその政治家の一人だろ。」と言われると、田舎政治家ではあるけれど、彼らとは一線を隔していると、言わせてもらいたかった。
政治家はもっともっと手、足を国のため地域のために動かして「汗」をかくべきである。頭脳は手足を動かしてはじめて、正常に機能するのだ。その機能する脳で構築したものを「口」や「ペン」を使って、広く大衆に訴えていくのが政治家ではないのか(ここで表現している手、足は、あくまで抽象的な例えとして使用しています。ご了承ください)。
政治活動と「選挙活動」とは全く意を異にするものである。近ごろは任期中の大半の時間を後者に費やす政治家が多いようだ。落選すればただの人、となるのは間違いないが、あまりに「票集め」にウエイトをかけ過ぎては、政治家としての「信念」が、かすみはしないだろうか。
世の中は、橋下市長大絶賛の嵐である。これほどまでに閉塞し、混沌とした中では、歴史的にも「ヒーロー待望論」が首を擡げやすい。僕も女房から「橋下みたいにねぇ…」などと皮肉を頻繁に言われる。「あの人は首長、僕は議員…議会の中の、ひ・と・り」なんて、か細い声で反論はしてみても、もうケータイメールの中に入ってしまっていて、こちらに意識はない…。
そんなことは、まずいいとして、橋本市長の力は凄まじいと思う。しかしなにか怖い感じもする。でも、あれほどのパワーを持って改革しなければならないような問題・課題は山ほどある、地方も国も、その二つを結ぶ関係自体もだ。
ただ「民主主義」も未熟なままで、いいはずはない。議会が、議会そのものとしてもっと強大にならないと首長の「独裁体制」を招きかねない。せめて議会の「ブレーキ機能(議決権)」だけでも充実しておかないことには、大変なことになる。住民のことは住民自らが決めていくという地方自治が、ちゃんと成熟することで、はじめて国が国民のものとして機能するのだ。しかしずぐにこのような流れはできないとかもしれない。でも有権者が自治とはナンだろう、政治とは、地方とは、国とは、そもそも自分とは何かを改めて考えるきっかけが、今なのではないかと思う。
誰が言ったか忘れたけれど「国民(のレベル)以上の大統領は生まれない」って。
ということはその町の首長や県議、市議をみれば、住民のレベルが見えてしまうということではないのか。
これは、マズイ。もっと勉強しないと…。
※事務所のお客様が「あれは面白いですよ」といったのは、責め上げ方や突っ込み方が面白くて、漫才のようでもあるし、ためになるという意味なんだそうです、悪しからず。
「何言ってるんですか、あなたも政治家じゃないですか…」と、その方からも言われたが、それはなんとも仕方のないことで、あのような質疑や、それどころか的の外れたほじくり方を延々と続けているのを見るのは、ひ弱な人の喧嘩を眺めているよりもっと辛い。今の民主党内閣に対して自民党は何とか政権奪還をしようと攻め立てるが、ある程度までほじくると途端にパワーが弱まるような感じがする。それはなぜかと想像するに、どんどん掘り進めていくと最後には「自民党政権」時代の腐った部分にたどり着くからではないのか。だからある程度でやめておく、あるいは、くだらない上っ面の部分だけを責め上げる、ということになってしまうのではないか。
民主党も誠に残念な党である。政権を獲らせてもらったのならば、その役割は何が何でも果たすべきである。これまでのような「ダッチロール」を繰り返すようであれば、即刻、政権を握りたくてだだっこのように喚いているだけの「自由民主党」に渡すべきである。おそらく、荒ぶる魂とは無縁の弱小チーム同士のラグビーボールのように「政権」をファンブルし続けるとは思うが、どこへ行くのか墜落するのかわからないような「ダッチロール」はマズい。「おめぇら、そんなとこにコチャコチャ手突っ込んで、遊んでる場合かっ!」って怒鳴りたくなってるのは、僕だけじゃないはずだ。
東日本大震災で被災した方々もそうだけれど、全国各地で様々な被災をした人たちがいる。現在も寒波による豪雪で多くのひとたちが被災している。その方々の救済が最優先じゃないのか。それに、何も知らず野山に生きる様々な植物や生き物たちが、放射線被害の「損害賠償請求」をしてきたらどうするんだ。生物多様性などとという考えの重要性を、原発事故前には盛んに各方面の有識者たちが声高に唱えていたのに…。放射能被害を受けているのはヒトだけじゃないのだ。誰か彼らの分の請求をしてくれないだろうか、勝ち取った分は、自然の再生保護に使えばいいじゃないか。
政治家があんなふうになっていったのは、いつ頃からだろう。カッコいいと思える政治家が中々見当たらない
。誰が政治家を「小物」にしてしまったのだろうか。
僕は「第四の権力」といわれるマスコミと、その力に翻弄されてきた国民(有権者)と、その流れに媚諂って蠢いてきた政治家本人たちとが、作りあげてきたのではないかと思っている。
いまさら、そんなことを言っても何も変わることはないし、始まるわけもないが、「お前もその政治家の一人だろ。」と言われると、田舎政治家ではあるけれど、彼らとは一線を隔していると、言わせてもらいたかった。
政治家はもっともっと手、足を国のため地域のために動かして「汗」をかくべきである。頭脳は手足を動かしてはじめて、正常に機能するのだ。その機能する脳で構築したものを「口」や「ペン」を使って、広く大衆に訴えていくのが政治家ではないのか(ここで表現している手、足は、あくまで抽象的な例えとして使用しています。ご了承ください)。
政治活動と「選挙活動」とは全く意を異にするものである。近ごろは任期中の大半の時間を後者に費やす政治家が多いようだ。落選すればただの人、となるのは間違いないが、あまりに「票集め」にウエイトをかけ過ぎては、政治家としての「信念」が、かすみはしないだろうか。
世の中は、橋下市長大絶賛の嵐である。これほどまでに閉塞し、混沌とした中では、歴史的にも「ヒーロー待望論」が首を擡げやすい。僕も女房から「橋下みたいにねぇ…」などと皮肉を頻繁に言われる。「あの人は首長、僕は議員…議会の中の、ひ・と・り」なんて、か細い声で反論はしてみても、もうケータイメールの中に入ってしまっていて、こちらに意識はない…。
そんなことは、まずいいとして、橋本市長の力は凄まじいと思う。しかしなにか怖い感じもする。でも、あれほどのパワーを持って改革しなければならないような問題・課題は山ほどある、地方も国も、その二つを結ぶ関係自体もだ。
ただ「民主主義」も未熟なままで、いいはずはない。議会が、議会そのものとしてもっと強大にならないと首長の「独裁体制」を招きかねない。せめて議会の「ブレーキ機能(議決権)」だけでも充実しておかないことには、大変なことになる。住民のことは住民自らが決めていくという地方自治が、ちゃんと成熟することで、はじめて国が国民のものとして機能するのだ。しかしずぐにこのような流れはできないとかもしれない。でも有権者が自治とはナンだろう、政治とは、地方とは、国とは、そもそも自分とは何かを改めて考えるきっかけが、今なのではないかと思う。
誰が言ったか忘れたけれど「国民(のレベル)以上の大統領は生まれない」って。
ということはその町の首長や県議、市議をみれば、住民のレベルが見えてしまうということではないのか。
これは、マズイ。もっと勉強しないと…。
※事務所のお客様が「あれは面白いですよ」といったのは、責め上げ方や突っ込み方が面白くて、漫才のようでもあるし、ためになるという意味なんだそうです、悪しからず。
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国会中継を見てると、橋本さんに期待したくなります。参議院不要論もわかる気がします。でも人間模様を見ると楽しいです。衆参双方を和ませる人がいると、ちょっとほっとしたり、議論が良い意味で飛び交ったりするといいね!と思ったりします。僕なりの国会の改善点は「質問に答えるために書面を見ながら話す」を禁止すれば国会はもっと良くなるかな?と思っています。
2012/02/22 Wed 22:58 URL [ Edit ]
tetu
野田さん始め民主党の皆さんには、本当にがんばってもらいたいのです。でも、ニュースを見るとどうもぱっとしませんよね。議員さんは優秀な方と信じたいのですが、それ以上に政治が難しいということなのでしょうか?
たとえ、難しいとしても政治の力が必要な人々には何があっても迅速に対応して欲しいのです。本当に御願いしますです・・・。
たとえ、難しいとしても政治の力が必要な人々には何があっても迅速に対応して欲しいのです。本当に御願いしますです・・・。
2012/02/26 Sun 00:06 URL [ Edit ]
baku
身を切って、つまり不用な天下り機関の廃止や税金の無駄な流れをしっかり断ち切って、それでもどうしても予算が足りない、だから国民に負担を求める。なら少しは理解できるが、そうなっていかないところに国民の失望感、不信感がつのる訳ですよね。
国政などに関わる偉い方々は、まず、最初に国民と乖理し過ぎた「感覚」を、懸命に縮める作業をしてから、様々なことをしてほしいです。
国政などに関わる偉い方々は、まず、最初に国民と乖理し過ぎた「感覚」を、懸命に縮める作業をしてから、様々なことをしてほしいです。
2012/02/27 Mon 12:27 URL [ Edit ]
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