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2006.10.23
弁当は、母の味
子ども時代に母が作ってくれた弁当の記憶は、不良中年になった今でも鮮明に残っている。
アルマイト製のおかず入れには、甘い卵焼き、昨夜の残りのカレー、筋子、タラコ、塩鮭、漬け物、タコ形にしたウインナー、ハムカツなどが日替わりで所狭しと詰め込まれていた。
ごはんの方は、パカッとフタを開けるといきなり海苔で書いた「バカ」の文字が目に飛び込んできて、側の友だちからよく笑われた。そのうえ海苔自体はフタにひっつき、その色だけが白いごはんにボワ~ンと残っていて余計に馬鹿っぽく見えた。
そんな弁当を持ち、みんなで裏山に登ってよく「あおぞら弁当」をした。狭い教室で食べるのとは、比べようの無いウマさで、あまり好きじゃないおかず(カリフラワーなど)でも平気でバクバク食べたのを憶えている。
冬には石炭ストーブの近くに弁当を暖める棚があり、そこに弁当を置いてアツアツごはんを食べる事が出来た。なかにはおかずとごはんが一緒の弁当があり、教室じゅうにプ~ンとタクアンの匂いが充満して「屁ーくさい、屁ーくさい」とわんぱくなガキたち(ま、オレたちなんだけどね、ハハ)が騒いで授業にならない時もあった。
それに寝坊して、命より大事な弁当をときどき忘れる事があった。
1.2時間目のうちはまだ余裕ではしゃいでいるのだが、3時間目辺りから急に不安になり、心細くなって、四時間目には悲しくて泣きたくなった。普段は人一倍騒ぐガキなのに、そんな時はさすがにシュンとなった。
いよいよ昼の「キーン コーン」チャイムが鳴ると、お腹もグーコー鳴って、涙がこぼれ落ちそうになっていると、先生がそばにやってきて「ちゃんと弁当届いてるよ、アホっ」って笑顔で、僕のまるまった背中をポンとたたいてくれた。
そんなときの弁当もまた格別の味だった。
昨日、夕食の時に二十歳を過ぎた末の息子が「コレ、おふくろの味なんだよなぁ・・・」と、ただホウレンソウにちぎった海苔を散らし、醤油をかけただけの、おかずを指してしみじみと呟いていた。さらに「・・・これだけなんだよなぁ・・・オレ(のおふくろの味って)」
実を言うと彼の「おふくろ」という人は、彼女の母親(つまり、バアちゃん)に台所を殆んど任せているので(かといって、仕事一途でもない)、記憶されているメニュー自体少ないのだろうが・・・自分の幼少時代と比較するとなんとも、可哀想で胸が絞めつけられる。
今朝、彼の「おふくろ」にその事をクイズ調にして話すと「エ~ッ、息子のおふくろの味って、何ー!」と飛び上がらんばかりによろこんだ。
そこまではよかったが、自分で何の料理を作ったのかも思い出せずに(それもそのはず、料理なんか面倒でやりたくな~い、といつも思ってる人だから)、「ケーキ?」「ババロア?」「カレー?」などと、小学女子みたいなメニューしか出てこない始末で・・・。
しかし、5.6回はずした後、すぐに「あ、わかった!ホウレンソウの・・・」と簡単に当ててしまった。
これもレパートリーの少ない彼女ならではのことと、若干、寒気と似たような感動を覚えた。
しかし「母の味」の記憶があると無いとでは、天地ほどの差があるはず、彼女は確実に「ある」と息子に評価された訳で、これは賞賛に値する出来事だと思う。
母として、更なる精進を期待し、て、も、しかたないので、息子がくれた宝石のような一言を、心の中に大切にしまってこれからのニートな生活を送って欲しいものだ。
ごはんの方は、パカッとフタを開けるといきなり海苔で書いた「バカ」の文字が目に飛び込んできて、側の友だちからよく笑われた。そのうえ海苔自体はフタにひっつき、その色だけが白いごはんにボワ~ンと残っていて余計に馬鹿っぽく見えた。
そんな弁当を持ち、みんなで裏山に登ってよく「あおぞら弁当」をした。狭い教室で食べるのとは、比べようの無いウマさで、あまり好きじゃないおかず(カリフラワーなど)でも平気でバクバク食べたのを憶えている。
冬には石炭ストーブの近くに弁当を暖める棚があり、そこに弁当を置いてアツアツごはんを食べる事が出来た。なかにはおかずとごはんが一緒の弁当があり、教室じゅうにプ~ンとタクアンの匂いが充満して「屁ーくさい、屁ーくさい」とわんぱくなガキたち(ま、オレたちなんだけどね、ハハ)が騒いで授業にならない時もあった。
それに寝坊して、命より大事な弁当をときどき忘れる事があった。
1.2時間目のうちはまだ余裕ではしゃいでいるのだが、3時間目辺りから急に不安になり、心細くなって、四時間目には悲しくて泣きたくなった。普段は人一倍騒ぐガキなのに、そんな時はさすがにシュンとなった。
いよいよ昼の「キーン コーン」チャイムが鳴ると、お腹もグーコー鳴って、涙がこぼれ落ちそうになっていると、先生がそばにやってきて「ちゃんと弁当届いてるよ、アホっ」って笑顔で、僕のまるまった背中をポンとたたいてくれた。
そんなときの弁当もまた格別の味だった。
昨日、夕食の時に二十歳を過ぎた末の息子が「コレ、おふくろの味なんだよなぁ・・・」と、ただホウレンソウにちぎった海苔を散らし、醤油をかけただけの、おかずを指してしみじみと呟いていた。さらに「・・・これだけなんだよなぁ・・・オレ(のおふくろの味って)」
実を言うと彼の「おふくろ」という人は、彼女の母親(つまり、バアちゃん)に台所を殆んど任せているので(かといって、仕事一途でもない)、記憶されているメニュー自体少ないのだろうが・・・自分の幼少時代と比較するとなんとも、可哀想で胸が絞めつけられる。
今朝、彼の「おふくろ」にその事をクイズ調にして話すと「エ~ッ、息子のおふくろの味って、何ー!」と飛び上がらんばかりによろこんだ。
そこまではよかったが、自分で何の料理を作ったのかも思い出せずに(それもそのはず、料理なんか面倒でやりたくな~い、といつも思ってる人だから)、「ケーキ?」「ババロア?」「カレー?」などと、小学女子みたいなメニューしか出てこない始末で・・・。
しかし、5.6回はずした後、すぐに「あ、わかった!ホウレンソウの・・・」と簡単に当ててしまった。
これもレパートリーの少ない彼女ならではのことと、若干、寒気と似たような感動を覚えた。
しかし「母の味」の記憶があると無いとでは、天地ほどの差があるはず、彼女は確実に「ある」と息子に評価された訳で、これは賞賛に値する出来事だと思う。
母として、更なる精進を期待し、て、も、しかたないので、息子がくれた宝石のような一言を、心の中に大切にしまってこれからのニートな生活を送って欲しいものだ。
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